対人論法(アド・ホミネム)

ある意見について、その内容ではなく誰が発言したかにで判断し、退けようとすることを対人論法といいます。

たとえば、ある人が日本経済の将来について提案を行ったとします。なのに、その人が現在無職であるという理由だけで彼の意見を退けるとするなら、それは対人論法の過ちをおかしていることになります。

ある政治家が演説をしたとき、その内容ではなく、政治家が過去にかかわったスキャンダルを持ち出して意見を否定しようとすることも、同じく対人論法になります。

私たちはよく「人を見て」判断します。相手が信用できる人物か、そうでない人物か。そういう区別で日常生活がうまく回っている面もあるでしょう。でも対人論法に頼りすぎると、思わぬところで足元をすくわれることになります。

  • 「○○党」は信用できる(信用できない)。
  • 「××人」は信用できる(信用できない)。

こういう決めつけには、明らかに隙があります。極端な話、あなたのきらいな「○○党」「××人」が「1+1=2」だと主張したとして、その意見を「誰が発言したか」を理由に否定するのはナンセンス以外の何ものでもありません。

あなたのきらいな「○○党」「××人」がイイコトを言ったとします。その内容を認めるのではなく、「いや、それは○○党(××人)の本心であるはずがない」と決めつけることに固執するようなら、あなたはすでに泥沼に頭を突っ込んでいるようなものです。ご用心。

「対人論法」をラテン語で「アド・ホミネム」と言います。これは「人に向かって」というような意味です。
これをもじって、女性に向かって「女の意見なんて聞く必要はない」というような態度を取ることを「アド・フェミネム」と呼ぶこともあるそうです。

1960年代に活躍したロック・ギタリストのジミ・ヘンドリックスがドラッグにはまっていたことから、彼の音楽について「聞く価値なし」とする態度、またクラシックの指揮者カラヤンがかつてナチス党員だったことを理由に彼の音楽を否定する態度も、対人論法になります。
では、ヒトラーだって間違ったことも言えば、一方で正しい意見も言っていたのではないか…。皆さんはどう思いますか。

「狼が来た!」と村人をだまし続けた羊飼いだって、時には役に立つ情報を教えてくれるのです。