身に覚えのない借金。立証責任はどちらに?

A:オレが貸した3万円そろそろ返してよ。
B:は? 金借りた覚えなんてないけど。
A:じゃ、おまえがオレに金を借りていないことを証明してよ。

この場合、Bさんは「Aさんから金を借りていないこと」を証明しなければならないでしょうか?

そんなことありませんよね。この場合なら、BさんではなくAさんが「金を貸した」という事実の証明を行う必要があります。
Bさんとしては、身に覚えのない「借金」についてはスルーしておけばいいのです。「借金が存在しないこと」をわざわざ証明する必要はありません。

議論においては、しばしば「どちらに立証責任があるか」が問題となります。

C:「アポロ11号は月面に着陸しなかったんだよ」
D:「おいおい、なんでそんなことがいえるんだ?」
C:「じゃ、アポロ11号が実際に月面着陸したことを証明してみてよ」

「アポロ11号が月面着陸した」という定説に対して、Aさんが異議を唱えています。この後Bさんが月面着陸の事実を証明しようとするとどうなるでしょう。

D:「1970年の大阪万博では月の石が展示されていたらしいよ」
C:「それはアメリカの砂漠で拾った石かもしれない」
D:「ニール・アームストロング船長のさまざまな証言がある」
C:「嘘をつくのが上手い人かもしれない」
D:「映像だっていろいろ残っている」
C:「ハリウッドの映像技術を駆使すれば十分可能だ」

懐疑的なスタンスをとる相手に対して「事実」を証明することは、思うほど簡単ではないのです。こんなときDさんはどう対処したらいいのでしょう?

一般に、学問的な定説や専門機関の公式見解は多くの証拠の積み重ねのうえに成り立っています。もちろんそれがすべて正しいという保証はありませんが、定説や専門機関の信頼性を尊重することで、大半のものごとは上手く回るようになっています。
この場合の立証責任は「捏造説」を唱えるCさん側にあると考えるべきでしょう。
Cさんが「捏造説」を裏付ける根拠を示せないかぎりは、スルーしておいても大した問題は生じないと思われます。

刑事裁判においては一般に「疑わしきは罰せず」の原則が適用されます。容疑者Eさんが有罪となるためには、検察側が有罪を裏付ける十分な証拠を用意しなければなりません。
つまり、検察側に立証責任(挙証責任)があります。

しかし例外もあります。たとえば公害問題。
ある地域で原因不明の病気が発生し、近くの工場排水が疑わしい場合、十分に証明はできない段階でも有罪を推定し、被害の拡大を防ぐ必要があります。

立証責任がどちらにあるか。これ自体は純粋な論理の問題とはいえません。論理的には、常に、その結論がどんな根拠(前提)から導かれているかが問題になります。
とはいえ現実的・実践的なシーンにおいては、立証責任のありかに注目することで、不毛な議論を回避できることがよくあります。