「ええもん」vs「わるもん」

関西育ちのぼくは子供の頃、テレビのキャラクターを「ええもん」と「わるもん」に分けていた。「ええもん」は「良い者=善玉」、「わるもん」は「悪い者=悪玉」である。昔の子供番組はとくに善悪二元論に色分けされていたように思う。(「ガンダム」はそうでないところが新鮮だった)

フィクションだけではない。歴史や社会も同じだ。織田信長が「ええもん」なら今川義元は「わるもん」。アメリカが「ええもん」ならソ連は「わるもん」。そんな二分割が身の回りのどこにでも転がっていた。

週末、テレビの報道番組で強大化する中国の問題がとりあげられていた。世界ウイグル会議や、南シナ海の島をめぐる中国とフィリピンの軋轢、尖閣諸島についてなど。日本人コメンテーターに混じって、中国人の大学教授が孤軍奮闘、中国を擁護していた。

これ自体は珍しくもない光景である。が、見ているうちに、ちょっとした疑問がわいてきた。

【Q】
なぜ日本人は日本を正しいと思い、中国人は中国を正しいと思うのか?

たとえば、ある問題について日本と中国の意見が対立しているとしよう。
この場合、たいていの日本人は日本の立場を正しいと思い、たいていの中国人は中国の立場を正しいと思う。少なくともそんな傾向がある。

これは、実に不思議である。

A国とB国の意見が対立しているとき、それぞれの国民100人ずつにアンケートをとってみよう。もしも全員がまっさらな気持ちで判断をくだすならば、たとえばこんな結果が予想されるだろう。

  • A国人:A国に賛成50人・B国に賛成50人
  • B国人:A国に賛成50人・B国に賛成50人

しかし現実には、こうはならない。たとえば以下のようになる。

  • A国人:A国に賛成90人・B国に賛成10人
  • B国人:A国に賛成10人・B国に賛成90人

自分が所属するグループに有利な判断を下しやすい思考の傾向を「グループ思考」と呼ぶ。「自国を愛する」以上の意味が付与された愛国心はグループ思考の典型だ。

自国と他国の意見が対立しているとき、次のような思考を行う人が多いのではないだろうか。

自国が正しいことを直観する。

自国の正しさを裏付ける論拠をさがす。

ぼくたちがこういう思考を行っているとき、相手の国民も同様の思考を行っている可能性が高い。

「ええもん」と「わるもん」の二元論は、大人になっても意外に根強いのではないかという気がしている。

→鳥の視点とロジックスケッチ