モナリザはスフマート技法で描いたから美しい?

レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」は、なぜ美しいのだろう。この問題に万人が納得する答えを出せる人がいるだろうか。

よく言われるのは、「スフマート」と呼ばれる「ぼかし技法」だ。
ルネサンス時代になって正確な描写の技術が発達した。しかし人物を細かく、1本1本の線まで念入りに描写すればするほど、全体としてはゴツゴツとした彫像のように見えてしまう。
そこでレオナルドは輪郭線をくっきりとは描かずに、もののかたちが陰のなかへと消えていくようにぼんやりと表現した。「モナリザ」の目元と口元はまさにスフマートの技法で描かれている。それが謎めいた微笑を生み出したのだという説明である。

モナリザ」の柔らかな微笑みとスフマート技法には、もちろん切り離せない関係がある。しかし「モナリザ」の美しさの理由をスフマートだけに還元することはできない。

【前提1】スフマート技法で表現された絵は美しい
【前提2】「モナリザ」はスフマート技法で表現されている
【結論】 「モナリザ」は美しい

これは前提1が怪しい。スフマートで表現された絵は何でもかんでも美しいのかというと、そんなことはないはずだ。

実は、同じことがスフマート技法以外にもいえる。「モナリザ」をどんなに分解して、その美しさの理由を説明したところで、それで十分に説明されたことにはならない。
なぜなら「美しい」という価値を根拠づけるためには、かならず「美しい」という価値を含む前提が必要となり、その前提の根拠もまた問題になるからである。

【前提1】私が「美しい」と感じるものは美しい
【前提2】私は「モナリザ」を「美しい」と感じる
【結論】「モナリザ」は美しい

ここでもまた「前提1」の信頼性が問われることになる。
私がウンコを「美しい」と感じてしまったら、そのウンコは美しいといえるだろうか。