年末の「再会」と議論の方法

年末に面白い「再会」がありました。ネット上で対話していたAさんが、何年も前に同じくネット上で議論していたBさんと同一人物だということが分かったのです。もちろん先方はハンドルネームを使い分けているだけですから、そのことを知っています。でもわたしにとってはAさんとBさんが同じ人だと知って、ちょっと驚き、懐かしい気持ちになりました。

3〜4年前、わたしがmixiで議論していたのは、「クオリア」とか「私」に関する問題でした。「クオリア」とは、たとえば赤い色を見て私自身が赤い色だと思う「感じ」のことです。どんなに科学が発達しても、この「感じ」については解明されないはずだ、これは科学を越えた一種の奇跡だというような考え方があり、それに対してわたしはこの「クオリア」も科学の範囲内だという主張を展開していました。

同じように「なぜ『私』は『私』なのか」という問題もありました。科学的なアプローチをいくら突き詰めても「『私』という唯一無二の何者か」が存在するという事実は説明不可能だ。これは科学を越えた「奇跡」である…というような主張があり、それに対してわたしは科学を擁護する立場から議論を展開していました。

そのmixiでわたしとBさんは主張が根本的に違っていて、なかなか意見が合いませんでしたが、たまに説明のために描くイラストがとてもいい感じだったので、羨ましく思うこともありました。

その後、武田邦彦討論のYoutubeコメント欄で、討論の内容をきちんと掘り下げたうえで「なぜ武田邦彦は嘘をつくのだろうか(自覚的に? 無自覚で?)」という疑問を呈していたのがAさんでした。そのAさんとBさんが同一人物だったというしだいです。

「私」問題については、当時考えたことをブログ記事にまとめて、哲学者の三浦俊彦さんや、永井均さんにも読んでもらいました。三浦俊彦さんは、論理学の入門書を多数執筆されていて、昨年4月からは東大教授をされています。永井均さんは「私」問題の元祖のような方で、わたしは永井さんの本に疑問を呈する立場でブログ記事を書きました。

永井さんからはご返事いただきましたが、「昔の本なので、今は永井さんご自身の考え方も変化している。できれば最近の著書を読んでほしい」というような内容でした。

三浦先生とはその後、定期的に会ったりお酒を飲んだりしています。イギリスの哲学者バートランド・ラッセルの読書会があって、わたしもその読書会に参加するようになったので。

2013-01-07 ヤドカリと台風 --永井均独在論への試案(1)〜(5)
http://d.hatena.ne.jp/yosikazuf/20130107/p1

2013-01-13 「三浦俊彦のページ」で質問
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3661

2013-01-18 三浦先生の返事
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3662

2013-05-06 永井均さんにメールしてみた
http://d.hatena.ne.jp/yosikazuf/20130506/p1

2013-07-31 「なぜ私は私なのか?」Why am I me? ミニアニメ
http://d.hatena.ne.jp/yosikazuf/20130731/p1


クオリア」「私」問題、タバコ討論、またQ&A Japanグループで行っている「国境を越えたQ&A」のプロジェクト…。わたしにとって共通しているのは、「世界観が違う者同士で、どうすれば建設的な議論が成立するか」という問題意識です。

わたしはこれに対して、現時点で2つの回答を用意しています。

1つは「ディベート」です。競技ディベートでは、立論や反論の形式がルール化されています。また、ある主張について同じ人(チーム)が肯定側・否定側のどちらの主張もできるように訓練します。このディベートのやり方を学ぶことで、むやみに感情を高ぶらせることなく、主張の組み立てについて考えることができるようになります。

もうひとつは「傾聴」です。賛成・反対の前に、相手の意見と気持ちを理解すること。そしてその「理解していること」を相手と共有すること。その大切さは、いくら強調してもしすぎることはないでしょう。

ネットや現実の世界で「世界観が根本的に異なる相手」と議論が成立するかどうか? わたしは次のように考えています。

自分の意見は、たとえばこのブログ記事のように「自分が意見を主張できる場」で発表する。みんなが賛成してくれることはないだろうけど、たとえ10人に1人でも「面白かった」「刺激になった」「役に立った」と思ってくれれば、それでいい。

相手と1対1のときは、自分の意見で相手を説得しようとせず、「相手の意見を聞き、理解すること」に注力する。この「理解する」は「賛成する」という意味ではありません。賛成・反対の前に、「あなたはこんな意見なのですね」と理解したことを、相手と共有するのです。

たとえば、相手は「宇宙人はいない」、わたしは「宇宙人はいる」という意見だとします。自分の意見を相手に押し付けるのではなく、また賛成や反対を表明するのでもなく、まずは相手の意見「宇宙人はいない。その理由は……だ」を正確に理解するようにする。そしてわたしが相手を理解していることを相手に示し、それを共有する。これだけでも、ちょっとした前進だと思うのです。

これは昨日、元日に撮った写真。本年もどうぞよろしくお願いいたします。