もぐらたたきのおわり〜喫煙派と禁煙派。議論のどこが かみ合っていないか

※『禁煙ジャーナル』2011年12月号に寄稿した記事を転載します。喫煙擁護論への批判ではなく、「議論のどこがかみ合っていないか」に焦点をあててみました。

渡辺編集長から資料をどっさりいただきました。猪瀬直樹岩見隆夫養老孟司森永卓郎黒鉄ヒロシ、須田慎一郎……喫煙擁護派の勇ましい面々。『禁煙ジャーナル』の正しいアプローチとしては、彼らの矛盾点を鋭く突き、ニコチンがいかに人間の脳をダメにするかを証明したいところですが、わたしにはやや荷が重い。今回は話のレベルをぐっと下げ「喫煙派と禁煙派。議論のどこがかみ合っていないか」に焦点をしぼって考察してみます。



■例1:タバコでリラックス? ーコトバの意味がズレている場合ー

禁煙派にとって「タバコにリラックス効果はない」はすでに常識です。喫煙者が感じる「リラックス」はニコチン切れの補給にすぎず、むしろタバコこそストレスの原因であるというのがその理由。しかし、ここにちょっとした落とし穴があります。ニコチン依存の仕組みを説明したからといって、自動的に喫煙者を改宗させられるわけではないのです。

【喫煙派】タバコを吸うとリラックスできる①
【禁煙派】吸ってもリラックスできない②

①と②では、実は「リラックス」の意味が違います。①は喫煙者の主観的な感じ方、②は客観的な脳内のメカニズムをさしています。②の発見は素晴らしい。でも喫煙派には「主観でもいい。自分はこの感覚が欲しくてタバコを吸うのだ」と主張する権利があります。

そこを見逃すと、「タバコを吸えばリラックスできる」「それは本当のリラックスじゃない」「本人がリラックスと思えばそれでいいだろう?」「お前はタバコ産業に洗脳されている」「よけいなお世話」……と、議論が空回りしてしまいます。

ちなみにコトバの意味のズレが議論の混乱を招くことを最初に指摘したのは、古代ギリシャアリストテレスでした。

■例2:受動喫煙は有害? ー前提が共有されていない場合ー

受動喫煙健康被害との因果関係は見つからないとする研究結果も約半数ある」……こんな論調で公共スペースの禁煙化に反対する喫煙派もいます。ここでは何がすれ違っているのでしょうか。

ものすごく大雑把ですが、受動喫煙健康被害が確定されるまでのプロセスを振り返ってみましょう。

【ステップ1】約半数の疫学調査で有意な結果がでた。
【ステップ2】複数の調査を統合し分析するメタアナリシスにより因果関係が確立された。
【ステップ3】疫学以外の研究でも結論が補強されている。

これに対し、喫煙派はステップ1だけを取り出して「因果関係は立証されていない」と主張しています。つまり「なぜ因果関係が認められたのか」という前提(3つのステップ)が共有されていないのです。

では、公共の政策決定においてはどの基準を採用すべきなのか。ステップ1だけなのか、それとも1〜3の全体なのか。ここを確認してはじめて議論をつぎに進めることができます。

「WHOが○○と言っている」「いや、WHOこそ健康ファシズムだ」とやりあうばかりが能ではありません。結論を支える土台を確認することは、ロジカルな議論のイロハなのです。

■例3:タバコとクルマは同じ問題? ー問いの立て方が下手な場合ー

「タバコを禁止するなら、同じように空気を汚すドライブも禁止しろ」。喫煙派からこんな不満も聞こえてきます。これも簡単に整理してみましょう。

【喫煙派】「タバコとクルマは同じ問題だ。一方だけ排除するのは筋が通らない」
【禁煙派】「タバコとクルマは別問題だ。タバコはタバコ、クルマはクルマで議論すべきだ」

さてどちらの言い分が正しいのでしょうか? 実はこれ、答え以前に、問いの立て方が下手なのです。

タバコとクルマには共通点も相違点もあります。共通点に着目して同じ問題として扱うことも、相違点に着目して別問題として扱うことも可能です。その意味で「タバコとクルマは同じ問題か?」は、そのままでは結論がでない、無意味な問いなのです。

ためしに別の問い方をしてみます。「受動喫煙健康被害を早期解決するためには、タバコとクルマを同じ問題として扱う方がいいか。それとも別問題として扱う方がいいか?」…いかがでしょうか。「早期解決」という目的を共有することで、適切な方法も見えてくるはずです。

■もぐらたたきは、もうあきた!?

喫煙派と禁煙派の舌戦はエネルギーを消耗します。「話の通じないやつ」を相手に、堂々巡りがどこまでも続く。「もぐらたたき」のモグラが次から次へと顔を出してくるような徒労感…。

終わりなき「もぐらたたき」に飽きたら、その10分の1のエネルギーを活用して別のゲームを始めてみませんか。相手を打ち負かすのではなく、共通のパズルを解いてみる。なかなか面白いですよ。