「なぜ私は私なのか?」Why am I me? ミニアニメ

「なぜ私は、他の誰でもなく私なのか?」という哲学的問いがある。

世界中に今現在たくさんの人がいる。過去にも多くの人が生まれ、これからも数えきれない人が生まれ死んでいくだろう。それにもかかわらず、なぜ私は他の誰でもなく「この私」なのか。・・・ほとんどの人はまったく気にかけないだろう。およそ10人に1人だけが小学校後半から中学1年生にかけて、この手のギモンを抱くという心理学的な調査もある。歴史的には、17世紀フランスの哲学者パスカルや、20世紀の物理学者シュレディンガーが同じような問いを残している。

このギモンについて考えるとき、大きく2つの立場がある。ひとつは、身体から独立した「本当の私」、一言でいえば「タマシイ」の存在を前提する立場である。この「タマシイ」は私ではなくて他人に宿ってもよかった。別の町の、別の国の、あるいは過去の、未来の、誰かに宿ることも可能性もあったが、いまなぜか「この私」に宿っている・・・そうやって考えを巡らすと、無限とか、永遠とか、何かはかり知れない存在の中に吸い込まれそうな感覚に陥ってくる。

もうひとつは、そのような「タマシイ」を前提しない立場だ。とにかく「意識」という現象がある。それぞれの意識はそれ自身を「私」と呼ぶ。こう考えれば、「なぜ私は私なのか?」という問いに対しては「すべての意識主体にとって、それ自身が『私』」というシンプルな答えになる。もちろんこれですべての謎が解明されたわけではなく「なぜ意識という現象が発生するのか?」という謎はあいかわらず残る。逆にいえば、「なぜ私は…」という問題は意識の発生メカニズムという科学的な問いに収斂されるということだ。

上記2つの立場を簡単なアニメーションにしてみました。「なぜ私は、他の誰でもなく私なのか?」・・・あなたはどう考えますか?

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