映画『アンダーグラウンド』と心を揺さぶる「嘘」

恵比寿でエミール・クストリッツァ監督『アンダーグラウンド(1995年)を鑑賞。20年ぶりに観て、再び激しく心を揺さぶられるような映画だった。

個人的な感想をメモしておくと、まず圧倒的なストーリー展開のなかにいろんな「嘘」が混じっている映画だと思った。舞台的で音楽的な演出がそうだし、戦中戦後のユーゴスラビアの歴史の中で荒唐無稽な嘘をつき続けることがストーリーの核となっていることもある。

リアルとフィクションが絡み合う圧倒的な世界観に引き込まれているうちに、ふと、いままで思いつかなかった問いがわきあがってきた。

「それは生きているか、生きていないか?」

「正しいか、正しくないか?」ではなく「生きているか、生きていないか?」という問い。

自分も含めて、世の中には「それは正しくない」といらだち、怒りをぶつける人たちがいる。それはそれでひとつのやり方である。

でもそこで、別の問いを投げかけることもできる。すると「正しいけれど、生きていない」ものや「正しくないけれど、生きている」ものが見えてくるかもしれない。それは少なくとも、ひとつの問いだけで考えていたときとは別の風景にちがいない。

ともかく、この映画を観て感じたことは、自分のなかでまだまだ未消化だ。地下鉄が遅れたせいで冒頭の15分ほど観られなかったこともあるし、今週か来週もういちど観に行きたいと思っている。


2011年特集時の予告編