ベートーベンの問いを想像する


子供のピアノ発表会を観にいった。小学校低学年から大人まで、あれやこれやの演奏。ぼく自身は幼児コースに2年行ってやめてしまったので、楽器が弾ける人はうらやましい。

本番に臨むにあたって、生徒たちが心にいだく思いもさまざまだ。この思いは質問のかたちで表現することができる。

「本番でまちがえないで弾けるだろうか?」という人もいれば「今日はとことん楽しめるだろうか?」という人もいる。観客の前で「恥をかかずにすむだろうか?」という人もいれば、「観客の心を動かせるだろうか?」という人もいる。ぼくの想像だけれど。

そして、どんな問いをもって本番に臨むかによって、答え=演奏も違ってくるはずだ。ネガティブなこと(もし失敗したら…etc.)をイメージして、それをなくそうとするよりも、ポジティブな問いに答えを出せるようにしたほうが上手くいくことだろう。

さて、この発表会。生徒たちの演奏がひととおり終わった後に、先生も1曲披露するのが恒例になっている。今回は、おそらく相当練習しなければ弾きこなせないであろうベートーベンの難曲だった。名前は忘れた。

ベートーベン、といっても今までピンとこなかったが、ピアノの先生の渾身の演奏を聴いていて思ったことがある。「当時の人にとって、この曲はそれまでのどんな作曲家の曲とも違う、まったく新しいものだった」ということだ。

ベートーベン以前に、誰ひとりこんな曲は作曲しなかった。

ベートーベンはどんな問いを抱いて、この曲を作ったのだろう。(ピアノの先生の解説を参考にするならば)「人間の苦悩や溢れ出す情熱を、音楽でいかに表現できるか?」という問いだったのかもしれない。

芸術の世界では、新しい問いが新しい表現を拓くことが、しばしばある。

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