「死ぬくらいなら辞めればよかった」は絶対に誤り?

電通新入社員自殺、「死ぬくらいなら辞めればよかった」が絶対に誤りである理由。 (後藤和也 産業カウンセラー/キャリアコンサルタント)

■本件についてはさまざまな議論がなされているが、「自殺するくらいなら、その前に会社を辞めればよかった」という意見が多数みられた。一見正論とも捉えられそうなこの意見は妥当なのだろうか。

最初に見解を述べれば、筆者はこの意見には反対であり、明確に否定する。

■「会社を辞めればよかった」は、空しい見解だ。
「自殺するくらいなら、その前に会社を辞めればよかった」という意見についての産業カウンセラーとしてのアンサーは、「そりゃあそうかもしれないですが、心を病んでる人にそんな冷静な判断できると思いますか?」ということになる。

この産業カウンセラーさんのような意見がでてくることは、ある程度予想したうえで、ぼくは数日前に記事を書いた(といってもメモ書き程度だけど)

質問学ブログ「今この瞬間、自分にはどんな選択肢があるのか?」

・過労で死ぬくらいなら、辞めればよかった。
・いじめで自殺するぐらいなら、転校すればよかった。
etc.

ぼくはこの考え(の趣旨)を支持します。

「いま、どんな選択肢があるのか」を常に問い続けること。これは社会を生きぬいて行くうえで不可欠な態度だと思う。

この産業カウンセラーが言いたかったのは、「心を病んでる人にそんな冷静な判断できると思いますか?」ということなのだろう。もちろん心の病が進めば、「辞める」「逃げる」という判断ができなくなる。(それが「心が病んでいる」状態なのだから)

意見A:「手遅れになる前に、辞めればよかった」
意見B:「手遅れになったら、辞めることができない」

意見A・Bともに一理ある。

この産業カウンセラーは意見Bの立場から、意見Aを否定しているわけだ。

このとき、意見Aの内容を自分に都合よく解釈して(攻撃しやすい形にして)、全否定しようとすると、議論が噛み合なくなる。
そうではなく、意見Aの趣旨をくみ上げ、寛容に解釈すれば、2つの意見が両立できる。


【追記】

禁煙にたとえれば…

・意見A:ひとりひとりが、タバコ依存にならないための判断力・リテラシーを身につけることが大切

・意見B:社会環境として、タバコを買えなくする、吸えなくする、禁煙教育を普及させることが大切

意見A・Bともに一理ある。お互いにサポートしあう、クルマの両輪のようなものだと私は考えます。

ところが、一方を強調するあまりに他方の意見を全否定すると、ムダな対立をあおったり、議論がすれちがったままになってしまうおそれがあります。

そんな風に思って今回の記事を書いたしだいです。

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