沈黙とお喋り。ディランと私

ボブ・ディランは「沈黙の人」だと思う。

ノーベル文学賞の発表から半日後のステージで15曲を披露したが、受賞について語ることはなかった。また、ノーベル文学賞の選考委員会は、丸1日経った時点でディラン本人と直接連絡が取れていないそうだ。

 歓喜に沸くファンをよそに、ディランは静かに歌声を響かせた。受賞決定から半日あまりで立ったステージで、代表曲「風に吹かれて」など15曲を披露。受賞について語ることはなかったが、老若男女のファン数百人が開場約1時間前から詰めかけ、「彼を祝えて本当にうれしい」などと喜びの声を上げた。

 来日中は日本の担当スタッフにも宿泊先を隠し、徹底的な秘密主義を貫く。ステージで受賞に触れなかったことも、ファンは「彼らしい」と評する。日本でも受賞の熱は冷めることなく、多方面で大きな反響が起きた。
(スポーツ報知 10月15日)

【ストックホルムAFP=時事】
ノーベル文学賞を選考するスウェーデン・アカデミーの関係者は14日、米シンガー・ソングライターボブ・ディランさんへの授賞発表から丸1日が経過した時点で、ディランさん本人と直接連絡が取れていないと語った。

この写真はボブ・ディランを世界的に有名にした「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」(1963年)のジャケット。当時まだ10代だった恋人スージー・ロトロと腕を組んで歩く姿が印象的だ。20歳すぎの若者とまだ10代の恋人が腕を組んで、などというアルバムジャケットは当時、相当変わっていたんじゃないだろうか…どうなんでしょう?

このスージー・ロトロさんが2011年2月、67歳で他界したというニュースが届いたときにも、ディランは何も語っていない。その翌月発生した東日本大震災へのチャリティーアルバムに彼の曲「嵐からの隠れ場所」も入れられたが、ディラン自身はコメントを発していない。

まあ、このあたりは、僕の記憶で書いているだけなので、もし情報が違っていたら教えてもらえると嬉しいです。とにかく、僕はこんなことをつうじて、またステージでも余計なお喋りをしない彼の姿を見て、彼に「沈黙の人」という印象を抱くようになった。

もちろん、若い頃の映像を見ると、ガヤガヤと集まった記者たちを相手に、言いたい放題、おしゃべりなディランの姿を確認することができる。20代前半で自分が発する言葉の影響力が頂点に達したディラン。その後どんな心境の変化があったのだろうか。

ぼくはいちいち検索したり、資料を調べたりすることはない。ただ、「ディランは沈黙の中で何を考えているのだろう?」と想像するのである。

そんな「沈黙」とは別に、ぼく自身はこのごろ「お喋りになろう」と思っている。

「こんなこと言ったら笑われるんじゃないか」とか「こんなこと言ったら恥ずかしい」という気持ちが湧いてきたときに、あえて「笑われる」「恥ずかしい」方を選んでみる。そうすることで初めて、ものごとが前に進んでいくという実感があるからだ。

たとえば英会話でも、「下手なのが恥ずかしい」「上手くなってから話そう」なんて思っていると、いつまでたっても話せるようにならない。とにかく会話に飛び込んでみる。会話の流れに乗れない、泳げない、溺れてしまう…と思ったら、そのなかで必死に足掻きながら話し方(泳ぎ方)を上達させればいい。

この「質問学」については、あと2ヶ月、年内にはひととおり(出版の準備として)原稿をまとめてみようと思った。古今東西のエピソードを盛り込みながら、質問することの無限の可能性が実験できる構成になると面白そうだ。少なくとも、ぼくにとっては一生懸命取り組む価値がある仕事だと信じている。

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