洋服と文房具ーーありのままの自分を知る

ぼくは18歳で上京してひとり暮らしを始めました。渋谷のゼンモールというカジュアル系洋服店でトレーナーを購入、大学に着ていったら、帰国子女のクラスメイトに声を掛けられました・・・「おまえ、それ何て書いてあるか知ってる?」

そのトレーナーに大きくプリントされていたのは「asshole」という言葉。「ass」は「尻」、「hole」は「穴」で「asshole」は「尻の穴、バカ、下衆野郎」という意味です。外国人が漢字のTシャツを買ったら、そこに「変態」とか「痔」とか「巨根」とか、ヘンな文字がプリントされているようなものでしょうか。さすがに恥ずかしくなって、そのトレーナーはもう着ませんでした。(ちなみに、それを教えてくれたクラスメイトは今、テレビの報道番組のチーフプロデューサーをやってるみたいです。偶然知って驚きました)

最近はまったくといっていいほど、自分で服を買うことがありません。半年に一度ぐらい、妻が通販で買ったり、一緒に買いにいってそこで選んだり・・・ひとりで買うことがないのです。

なぜひとりで買わないのか? 自分の心理を振り返ると、「服は世の中にたくさんありすぎて選べない!」という気持ちなのです。

これって、ヘンですよね? もちろん服を選ぶことは可能だし、独身時代は曲がりなりにも自分で選んでいたわけですから。でもまあ、繰り返しになりますが、ぼく自身の心理を描写すると「服は、多すぎて選べない」という感覚なのです。

その一方、筆記用具は必ず自分で選びます。

ボールペンが好きな時期、万年筆を愛用していた時期…いろいろありますが、昔から、自分で選んで愛着がある筆記用具でないと気が済みません。最近は「カランダッシュ」というスイスのメーカーのシャープペンがお気に入りです。たまにペンケースを忘れて愛用の筆記具が使えない日があると、「早く家に戻ってあのペンを持ちたい」と思ってソワソワしてしまいます。

フジモトヨシカズという同じ人間なのに、服は「多すぎて選べない」、筆記用具は「自分で選ばなければ気がすまない」。これが現時点での僕の特徴です。人によってはこれが逆で、筆記用具はまったくこだわらないけれど、服を選ぶのは大好きという方もいらっしゃることでしょう。

最近思うのは、こういった「好み」「感覚」は、意識して変えることもできるということです。

たとえば僕が、「これからは服を自分で主体的に選ぶようにしよう」とか「文房具は機能性に徹して300円のものでいいことにしよう」と考え方をチェンジすることも可能です。

とはいっても、タバコや食生活と違って、いま習慣を変えないと後で苦労するというわけでもないので、とりあえずは今のままでいいやと思っています。

完璧な人間はいません。ひとそれぞれ、いいところ、わるいところ、上手くいくこと、上手くいかないことがあります。

そんな不完全な自分のありのままの姿を知っておくことは、社会のなかで自分らしい自然体を見つけるうえでの出発点になる。そんな風に考えています。

皆さんは、ご自身がどんな特徴をもった人間なのか、振り返ってみることがありますか?

【Q】
自分はどんな特徴をもった人間なのだろう?
(対象やジャンルによって興味関心がどうちがうだろう…etc.)

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