「ハートカクテル」と、それぞれの景色

わたせせいぞうの「ハートカクテル」という漫画をご存じですか? 男女の恋愛のちょっとしたエピソードが毎回4ページに収まったカラフルな漫画で、1980年代に連載されていました。

最近、その文庫本版を机の上に置いていたところ、中学生の娘がそれを見て、こんなことを言いました…「めっちゃ古そうなマンガ」だと。

へえ〜「めっちゃ古そうなマンガ」なんだ…

ハートカクテル」といえば、ぼくの感覚では「オシャレな漫画」です。そこで描かれる男女の粋なやりとりは、ぼくとは無縁の世界でしたが、「自分の人生にもこんなエピソードがあるといいな」と思わせる魅力があります。ぼくにとっては。

ところが、今の十代から見ると、まず絵柄が「めっちゃ古そう」に見えるのです。

考えてみれば当然かもしれません。2016年から見れば、1980年代は30年も昔です。1980年代に中学生だったぼくにとって1950年代の漫画がとても古く感じられるのと同じことでしょう。

そういえば、娘が広瀬香美の「ロマンスの神様」を聞いて「昔っぽい」と感想を言っていたこともあります。

ハートカクテル」にしろ「ロマンスの神様」にしろ、同じ時代を過ごした身からすれば、「いま、これが新しい」という同時代的な感覚が刻まれています。その感覚は、時がたつにつれて、ゆっくりと「懐かしい」感覚に変化します。

カラオケで昔のヒット曲を歌ったり聞いたりしてわき上がる気持ちも、「同時代」と「懐かしい」が重なり合ったものかもしれませんね。

さて、ここでぼくが面白いと思ったのは、およそ30歳はなれた「ぼくの感じ方」と「娘の感じ方」は、かなり違うということです。

ベルリンの壁は1989年11月に崩壊した」というような歴史的事実、あるいは「15×3
=45」「地球は太陽の周りを回っている」というような数学や天文学の正解は、誰にとっても変わりません。

ところが、同じマンガを見たり歌を聴いたりしたときの感じ方は、人によって大きく異なります。

ぼくの感じ方と娘の感じ方と、どちらか一方が正解というわけではありません。それぞれの人に感じ方がある。それぞれの人にとって「その人から見えている景色」は異なるのです。

年長者が「昔はよかった」とか「近頃の若い者の考えることは…」と嘆くことはいつの時代にもみられます。それはその人が「その人から見えている景色」だけで判断を下しているからなのです。

もし「相手から見えている景色」に興味をもって、それを知ろうと試みれば、自分が知らなかったぜんぜん別の景色が発見できる。皆さん、そう思いませんか?

【Q】
その人からはどんな「景色」が見えているのだろう?
私はどんな方法でその「景色」を知ることができるだろうか?

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