国民性

ある船に火災が発生した。船長は、乗客をスムーズに海へ飛び込ませるために、
イギリス人には 「紳士はこういうときに飛び込むものです」
ドイツ人には 「規則では海に飛び込むことになっています」
イタリア人には 「さっき美女が飛び込みました」
アメリカ人には 「海に飛び込んだらヒーローになれますよ」
ロシア人には 「ウオッカのビンが流されてしまいました、今追えば間に合います」
フランス人には 「海に飛び込まないで下さい」
日本人には 「みんなもう飛び込みましたよ」
中国人には 「おいしそうな魚が泳いでますよ」
北朝鮮人には 「今が亡命のチャンスですよ」
大阪人には 「阪神が優勝しましたよ」と伝えた。

民族性・国民性というのは、なんとなくある。日本人がご飯と味噌汁の味に慣れ親しんでいるようなものである。
だけど誰であれ、自分の「国民性」を選択することができるはずだ。2012年の日本で暮らす誰かが古代ギリシャ人の価値観で生きることも、まったく無茶とはいえない。もちろん、法に従い、最低限生活していける程度には周りの社会と折り合いをつける必要はあるけれど。
「周りの考え方に合わせなくては」というプレッシャーを捨ててみる。
毎日毎日、一生、ご飯と味噌汁だけしか食べてはいけない、と考えるよりも、「古今東西どんな料理でも食べていい」と考えた方が、よっぽど気持ちよく生きられる気がする。