ヤドカリと台風 --永井均独在論への試案(3)
「xにとってx自身は特別である」という説明で矛盾は生じないのか。次のような設定で考えてみよう。
- A・B・C・D4人の「箱ニンゲン」がいる。
- 「箱ニンゲン」は外側の「箱」と中の「ジガ」からできている。
- 箱ニンゲンBから見るとBは「オレ」、A・C・Dは「他人」である。
- 他人にもオレと同じジガがあることが推測できるが、直接他人のジガを確認することはできない。
Bは考えた。
「なぜオレだけが他人とぜんぜん違うあり方をしているのだろう?」
BからすればBのジガだけが明らかに存在して、この世界をひらく原点のようなあり方をしているようにみえる。しかしBにだけ他人にない特別な成分があると考えるのは不自然である。
一方「xにとってx自身は特別」という説明は以下の2点をクリアしている。
- BにとってB自身が特別であること
- A・C・Dにとっても、その人自身が特別であること
そのうえで、B自身の「端的な」「すべての原点となるような」「森羅万象をひらくような」etc. 特別さを説明することは可能だろうか。
【原点、端的な存在であることの説明】
xにとってx自身が「端的な」「すべての原点となるような」「森羅万象をひらくような」存在と思えるのは次の理由による。
- xが思考するときには xの存在が絶対的な前提となるから
同じことを以下のように表現することもできる。
- xが思考するならば xが存在する。(我思う、ゆえに我あり)
- 「xの思考」にとって「xの存在」は必要条件である。
いかがだろうか。もちろんこれらの単純な表現だけで「特別さ」のリアルな実感を汲み尽くすことはできない。そんなことは当然だ。しかしBにとってB自身の存在が唯一無二の特別な存在として実感されることの方向性は示せているのではないだろうか。
先入観ぬきに考えてほしい。あなたにとってあなた自身がまったく特別な存在だと感じられる理由として…
- 人間xにとって x自身は特別である(あなたにとって あなた自身は特別である)
- xが思考するとき xの存在が必要条件となる(あなたが思考するとき あなたの存在が必要条件となる)
これらの説明は 論理を放棄しないという意味で <奇跡>よりずっとましな説明ではないだろうか。「ぼくは特別である」という生々しい実感に「ぼくにとって」を付け加えれば「ぼくにとってぼくは特別である」になる。たったそれだけのことで「ぼくの特別さ」の基本構造が見渡せるのである。
しかし、ここで「xの思考」と「xの存在」の循環構造が気になる人がいるかもしれない。「『xの思考』に言及した時点で『xの存在』が前提されている。論点先取ではないか」という指摘にはどう答えればいいだろうか。
この仕組みについて、もう一歩踏み込んで考えてみたい。