ヤドカリと台風 --永井均独在論への試案(4)

ヤドカリと台風 --永井均独在論への試案(3)

「『xの思考』にとって『xの存在』が必要条件となる」という自己言及的な関係によって「特別性」が説明できる。しかし「私の思考」と「私の存在」が最初から循環しているのではないかという指摘にはどう答えればいいだろう。

【シーン4】 ヤドカリと台風

「台風の目」という言葉がある。しかし台風の真ん中に目玉のような物体が存在するわけではない。周囲の暴風域と比較して、そうでない部分が「台風の目」と呼ばれる。人間の意識をこのようなモデルで捉えることはできないだろうか。

前回記事の「箱ニンゲン」では「箱=身体」の中に「ジガ=自我」という実体が納まっていた。これはいわば「ヤドカリ型」モデルだ(左の絵)。ときにはジガが箱から飛び出したり、別の箱に乗り換えたりできるかもしれない。このジガの中に「魂」とか「オレの本体」を想定して入れ子構造を作り出しても事情は同じだ。

これに対して、意識・思考を「台風」のようなモデルで考えることもできる(右の絵)。意識という「台風」が仮想的な <中心>=「目」を伴うと考えてみるのだ。このとき、意識は <中心>を「端的な存在」としてとらえる。さらに、意識から<中心>へと向けられた呼び名が<ぼく>になる。

  • 意識→→→ <ぼく>=<中心>

このモデルを採用すれば、「私が思考する」という主語-述語的な関係ではなく <私, 思考>が一対となって出現するという新たな関係が見えてくる。

【意識の台風モデル】

身体(脳):台風発生装置
意識   :台風
<中心> :台風の目
<ぼく> :台風から台風の目に向けられた呼び名

「xの思考」にとって「xの存在」が必要条件となる。

「xの思考」と「思考するx」がペアとなって現れる。

このように考えれば「(ぼくが思考するとき)ぼく自身が特別な存在となること」に筋の通った説明を与えることができる。

もちろん現実の意識現象が物理的に台風の形をしているわけではないし、「意識」と<中心>の関係に曖昧な点も残っているが、今回の仮説の方向性が正しいとすれば、メカニズムについては今後の科学が明らかにしてくれるだろう。

ヤドカリと台風 --永井均独在論への試案(5)