オランダ「多様な価値観の矛盾」の論理パズル的考察
前回書いたブロガー議員・おときた駿さんタウンミーティングで、個人的にすごく興味が惹かれたことがありました。それはオランダにおける「多様な価値観の矛盾」ともいえる問題です。
◎オランダにおける「多様な価値観の矛盾」とは?
オランダ社会はLGBT・同性婚法制化や安楽死の容認など「多様な価値観」を認めることが特徴です。ところが一方で、そういったリベラルな価値観と対立するイスラム教徒(ムスリム)も生活しています。
では、オランダ社会は厳密な戒律に従うイスラム教徒の「単一な価値観」も受入れているのかどうか? 現時点の答えは「No」です。「多様な価値観」を認める社会が「単一な価値観」を否定する…そこに矛盾がある、というのが音喜多さんの見解です。詳しくは彼のブログ記事を読んでみてください。
おときた駿ブログ:「多様な価値観」が、単一な価値観を否定するという矛盾
わたしは政治には疎いですが、論理学のファンということもあり、この問題を論理パズル的に考察してみることにしました。手順は以下のとおりです。
- 「多様な価値観」という言葉には2とおりの解釈がある。
- 【解釈1】を採用すると矛盾が生じる
- 【解釈2】を採用すると矛盾が回避できる
◎「多様な価値観の矛盾」の論理パズル的考察
日常言語には、多かれ少なかれ曖昧な部分があります。「多様な価値観を認める」という言葉も、少なくとも2とおりの解釈が可能です。
【解釈1】
「多様な価値観を認める」=「あらゆる価値観を認める」【解釈2】
「多様な価値観を認める」=「マイノリティの価値観まである程度拡張して認める」
ついでに「価値観」についても簡単に確認します。こちらは3種類に分けます。
【価値観の分類】
まず、「多様な価値観を認める」=「あらゆる価値観を認める」と字義どおりに解釈するとどうなるか。これは非常に極端なことになります。カニバリズムや奴隷制までも「多様性」に含んでしまうと、現代社会は成り立ちません。
そこまで極端でないとしても、この解釈によればイスラム教は当然ながら「多様な価値観」に含まれます。オランダ社会がそれを排除するならば、言行不一致になることは避けられません。
こんどは「多様な価値観を認める」=「マイノリティの価値観まである程度拡張して認める」と解釈してみます。こちらの方がより現状に近いのではないでしょうか。オランダ社会において認められる価値観の範囲が拡張され、その中に同性婚や安楽死が含まれるという考え方です。
では「ある程度」とはどの程度なのでしょう。これは「民主主義」や「人権」という近代的価値観と矛盾しない範囲だと考えるのがいいと思います。つまり「多様な価値観」といっても無制限に認められるわけではなく、あくまでもオランダ社会の核となる価値観(民主主義と人権)が前提となっているということです。たとえば奴隷制度はこれらと対立するため、現実的には「多様な価値観」には含まれません。
このように考えると、ムスリムの人たちがオランダ社会に受入れられにくいことについて、一方的に矛盾と断定することはできなくなります。むしろ境界線上の事例だといえそうです。(音喜多さんが問題提起の表現として「矛盾」という言葉を使ったことを否定するものではありません。念のため)
◎イスラム教はオランダ社会に受入れられるか?
オランダ社会にとってムスリムの人たちとの価値観の相違はグレーゾーンの問題だといえます。「多様な価値観」を認めることが望ましい方向ではありますが、現実として民主主義とイスラム教には根本的な違いがあるります。
- 民主主義:「正しい行為」は人間が決める
- イスラム教:「正しい行為」は神が決める
ムスリムの人たちが豚肉を食べない唯一の理由は「神がそう決めたから」です。
イスラム教のルールを厳密に守れば、いくつかの部分で「民主主義」「人権」といった近代的価値観と衝突します。一方、緩やかに捉えれば共存も可能でしょう。今後はその方法をより具体的に試行錯誤する必要がありそうです。(ちなみに、わたしにはムスリムのfacebook友達がたくさんいます。宗教について議論することもあります)
「多様な価値観」と「単一の価値観」の対立は、もちろんオランダだけの問題ではありません。ヨーロッパや中東はもちろんのこと、日本も傍観しているだけではすまなくなるでしょう。みなさんも、まずは自分がどんな価値観(群)に立脚しているのか振り返ってみませんか? それが問題を考える第一歩になります。