鍵となる質問…「なぜ、話が通じないのか?」(3)

他人にとってはどうでも良くても、自分にとっては心が強く揺り動かされるできごとがある。昨日はそんな体験をした。

仕事仲間でもあり友人でもあるフリーアナウンサー安田佑子さんのラジオ番組が最終回を迎えた。横浜市にあるラジオ局1階のカフェで行われる公開生放送。ぼくは出張で九州にいたので最終日に立ち会うことはできなかったけれど、仕事の合間にわがままを言って最後は少しだけ、リアルタイムで聴くことができた。

番組が終了するということは、いろいろと事情があるのだろう。今回は他の時間帯の番組も合わせて改編になるらしい。それはそれとしてぼくが驚き、ひそかに心動かされたのは、最後の2〜3週間で番組やリスナーに対する彼女自身の思いが、一気にコアな部分、原点の部分へと凝縮されていったように見えたことだ。

数週間前には、番組が終わることに対してあれこれと、あえて言えば「よけいな」ことも考えていたように見えた(ぼくの勝手な感想だけれど)。ところが最終日の放送は、終わりが近づくにつれて、1秒1秒が密度を増し、リスナーとの関係に彼女自身のラジオに対する思いが重なって、かけがえのない時間になったように思う。

すべての体験は、個人的なものだ。

同じできごとについて、みんなが同じように感動するわけではない。まったく興味を引かれない人もいるし、頭では共感しても、それほどでないことだってある。人によって、心が動くポイントはまちまちだ。

だけど、自分にとって大切なものは何か、自分がどんなことで心を動かされた経験があるか、それを記憶しておくことは、他人と関わり合い、理解するうえできっと役に立つはずだ。


さて、ぼくにとってのコアな部分、鍵となる質問は、「なぜ、話が通じないのか?」という思いだった。

たとえば、国がちがえば意見がちがう、ということがある。意見がちがうこと自体はありうる。しかし、A国とB国の意見が対立しているとき、A国民の大部分がA国の意見を支持し、B国民の大部分がB国の意見を支持するというのは、よく考えてみればおかしな話である。A、B両国にそれなりの論拠があるとして、それぞれの国民が中立的に判断するとすれば、たとえばこんな風な配分になるだろう。

A国の意見を支持:A国民の50%、B国民の50%
B国の意見を支持:A国民の50%、B国民の50%

だけど、しばしばお互いが相手のことを「話の通じないやつら」だと信じているという現象が起こる。

ぼくはフェイスブック「Q&A Japan/日本」というグループを立ち上げた。これは「日本についてどんな質問でもしていい」というグループだ。質問は何でもあり。その代わりお互いに相手をリスペクトして話のがルールである。参加者の数だけでいえば、9,000人を越えた。実際のコメントはのんびりしたペースだけれど。

ピレネー山脈のこちら側の真理は、あちら側では誤り。(パスカル『パンセ』)

「なぜ、話が通じないのか?」…Q&A Japan の試みは、ささやかではあるけれど、ぼくの興味をかたちにしたものだ。ここには「Q&A」「質問」というキーワードが登場している。このブログのタイトルも「アイロン(論理愛好会)」から「質問学」に変更した。

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