「今この瞬間、自分にはどんな選択肢があるのか?」


大手広告会社1年目の女子社員が自殺した裁判の記事を見た。大学と学部はぼくの後輩にもあたる。彼女はなぜ自殺せざるを得なかったのか、気になった。

ぼくは広告会社に5年勤めて退職した。たまに徹夜もあったが、そこまで理不尽な思いをしたことはなかった。会社をやめたのも、ある日突然「4コマ漫画を描きたい!」と思い立って、その2日後に辞表を出したからだ。「なんてアホなことをしたのだろう」と今でも思うが、一方で、そういうアホなところが自分らしいという気もする。

さて、女子社員の痛ましいニュースについて。会社や周囲の責任論、法的、倫理的、医学的…いろんな側面から議論することができるだろう。しかしここでは「因果関係」と「質問」について考えたことをメモしておきたい。

まず因果関係をロジカルに考えると、原因は常に単一ではなく複合的だといえる。
たとえば、「10年前の事故で負った膝の傷が冬の寒さで痛んでいて、また徹夜と空腹が重なってふらふらしているとき、土砂降りの雨の中歩いていたら、すれ違った犬が急に吠えて驚き、小石につまづいて転倒した」というケース。転倒の原因は何だろう? 

「10年前の事故の傷」「冬の寒さ」「徹夜」「空腹」「土砂降りの雨」「犬が急に吠えたこと」「小石」...原因がどれかひとつだけだと考えるのはナンセンスだ。古傷×寒さ×空腹×・・・原因は常に複合的である。これを、いくつかに分割したパイになぞらえて、因果のパイモデルともいう。

自殺した女子社員の場合、彼女を取り巻く環境が理不尽な状態であったことは事実だろう。それはそうであるとして、彼女自身がどんな「問い」をもっていたのかが、ぼくは気になった。

質問:「今この瞬間、自分にはどんな選択肢があるのか?」

小学校・中学校のときから、高校・大学のときから、こんな問いを自分に投げかけ続けていたらどうだろう。いざというとき、「そこから逃げ出す」という答えもあったはずだ。会社から逃げ出したところで、日本で飢え死にすることはないだろう。

ここに書いた話は、いじめ自殺などの痛ましいニュースを目にするたびに、ぼくがよく考えていることだ。

法律上、倫理上は、弱者に責任はない。だとしても、最悪の選択を避ける方法はいくつもあったはず、というのがぼくの意見です。みなさんはどう考えますか?

「質問学の3つの柱」というもものを考えてみた。

  1. 質問の逆算。「優れたアウトプット(答え)は優れた問いから導かれる」という仮説。個別のケース(優れたアート、発明etc.)について、その原点となる問いを逆算してみること。
  2. その人を動かしている、その人の原動力となっている質問は何か? これを明確化することで、その人がその人らしく生きていくサポートができるはず。
  3. 質問の具体的な技術。どうすれば自分にも相手にも発見がある、相手も喜んでくれる質問ができるか?

以上、3つの具体的な情報は、多くの人の役に立つはずだ。

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