小説を書くとしたら?

皆さんは小説がお好きですか?

僕は、小説を読む習慣がまったくありません。『火花』だとか『コンビニ人間』だとか話題の小説が面白そうだなと思っても、読むのはタイヘンだと思い直すので、買うことはありません。小説を読んでいる人を見ると、うらやましいなあと思います。

いまはそうなのですが、十代のころを振り返ると、僕は小説ばかり読んでいました。小学校高学年のころにはカフカの『城』や三島由紀夫の『金閣寺』を読みました。ドストエフスキーの未完の大作『カラマーゾフの兄弟』も小学校6年生のときに初めて読みました。中学高校の一時期は、「小説を読む時間」を決めて、「物理」「化学」「宗教」(カトリック系の学校だった)の時間は小説ばかり読んでいました。

ところが大学に入ってから小説を読む習慣がなくなってしまい、今はほぼまったく読みません。先日、モロッコの友達が村上春樹の『海辺のカフカ』(彼女にとっては初めて読んだ日本文学)に感激したと教えてくれましたが、僕は村上春樹の小説もほとんど読んでいません。地下鉄サリン事件のインタビュー集『アンダーグラウンド』は、ゾクゾクしながら一気に読みましたが。

そんな僕ですが、短いストーリーを書く必要に迫られて、『書きあぐねている人のための小説入門』(保坂和志/中公文庫)という本を買いました。・・・必要に迫られているので、一気に読み進めます。すると「短いものなら書ける。書いてみよう!」という気になってきました。

これはどういう感覚だろう? この本を読む前には、自分が短編を書いたところで「すでにあるもののコピー」になるか「つまらない」ものになるか、どちらかだという気がしていました。

でも、たぶんそうじゃない。自分がいま気になっていること、自分の心が動かされていることを核にして、そこへの問いかけをくり返しながら人物を描けば、それは「コピー」でも「つまらない」ものでもない、別のものになるのではないか。子供が一生懸命書いた絵のような、稚拙でも訴えかけるところがある何か。少なくとも可能性はそこにある、と思うようになりました。

僕の場合は、たとえばスピーチの方法ともつながってくるように思います。結論をいそいで伝えようとするあまり、聞き手の興味と離れてしまうことがあります。結論めいたことは頭の隅にとどめながら、そのときどきの体験や、そこで感じたことと向き合い、それを何とか表現することで、それが初めて周りの人と繋がっていくのだという気がするのです。

【Q】
自分の感じたこと、考えたことを何度も問い直し、自分の言葉で表現することができるか?
(もし、ショートストーリーを書くとしたら)

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