モルモットと価値観のフィルター

「人間モルモットにされていたと知って、怒りを覚えた」…そんな言葉を新聞で見かけました。シリアスな記事です。ここでの「人間モルモット」は「まるで実験動物のように」という比喩なのでしょう。

ふと思ったのが「モルモットにしてみれば『人間モルモットにされて』という表現は屈辱的だろうな」ということです。


広辞苑

モルモットにだって人間と同じように何万年、何十万年の昔から先祖代々命を受け継いできたわけで、人間によって実験動物にされるようになったのはごく最近です。本人たちにしてみれば、「おいおい、そんな表現が普及するまえに命を助けてくれよ〜」と文句のひとつも言いたくなることでしょう。

極端な例だと、ゴキブリがそうですね。ゴキブリはゴキブリで悠久の昔から生きているだけ。それが「ゴキブリみたいな男」だと「汚らしくて、触れるのもイヤな男」という意味になってしまう。

「モルモット」にしろ「ゴキブリ」にしろ、その言葉は生物学的な意味にとどまらず、そこに何らかの価値観が付与されてしまう。言葉にはそんな特徴があります。

「○○人」の「○○」にいろんな国名を入れてみてください。「アメリカ人」「フランス人」「中国人」「韓国人」「フィリピン人」「インド人」「ブラジル人」「ナイジェリア人」...それは単なるニュートラルな国別分類にとどまらず、皆さんそれぞれに「○○人」に対するイメージがくっついてくるのではないでしょうか。

それぞれの名詞に「いい/わるい」「好き/嫌い」その他いろいろな価値観がまといつく。そのこと自体がわるいわけではありません。言葉とはそういうものなので。

とはいえ、そのことを時々自覚してみるのは、考え方の幅を広げることに繋がります。「私たちは知らず知らずのうちに何らかの価値観のフィルターをとおして物を見ている」ということを頭の隅においておくといいでしょう。

ある言葉を聞いたときに、あなたの中に浮かぶイメージ。そこには何らかの価値観が付随しています。逆に言えば、あなた自身がその価値観を転換すればその物の見え方も変わってくるのです。

【Q】あなたはどんな価値観のフィルターをとおして物事を見ていますか?

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