きつねとぶどう

「狐と葡萄」

 腹をすかせた狐君、支柱から垂れ下がる葡萄の房を見て、取ってやろうと思ったが、うまく届かない。立ち去りぎわに、独り言、
 「まだ熟れてない」
 このように人間の場合でも、力不足で出来ないのに、時のせいにする人がいるものだ。

イソップ寓話集』(中務哲郎訳/岩波文庫)より

イソップ寓話のなかの有名なお話です。きつねはブドウが食べたかった。でも上手くいかない。そのあとに「熟れてない」と文句を言って去っていった。

イソップの時代から2千数百年経った現代でも、このきつね君に似た人はたくさんいます。ぼく自身も、上手くいかないことがあると、つい周りのせいにしたくなり、慌ててその考えを振りはらうことがよくあります。

「ブドウが上手く取れなかった」→(だから)→「ブドウは熟れていない」。
こうやって文字として書き出してみると、「上手くいかなかった」から「熟れていない」などとはいえないことは、誰でも知っています。
でも当事者になると、わからない。ついつい自分以外の何か(モノ、人…)を貶めてみたくなります。

そんなときは「なぜ?」を考えてみることが基本です。
「ブドウはまだ熟れていない」という結論に対して、「なぜ、そういえるのか?」を振り返ってみるのです。

「ブドウは熟れていない」…「なぜなら、色がまだ青いからだ」「なぜなら、粒が小さくて見た目も固そうだからだ」「なぜなら、まだ熟れる時期ではないからだ」などなど。
この「なぜ-なぜなら」を考えることで、自分の主張にどの程度の正当性があるのかが明らかになってきます。

生きているかぎり、自分が失敗することは数限りなくあります。そのときに、まず相手や環境を悪くいう癖がついてしまうと厄介です。なぜなら、そういう思考では本当の原因が見つかりにくくなり、本当の原因が見つからないと、次に進むためのいい方法も見つからないからです。


カンガルーガエルの「カンガエルー」キャラを描いてみました。ポケットの中にはオタマジャクシがいます。これからイラスト、漫画のなかに登場させる予定です。描いていくうちにどんどん変形していくかもしれません。