ココロとカラダ。未解決のパズルを解こう!

※グルメな王様のつづき

世界で起っているものには、二つのまったく異なる種類のものがあるように思われます。一方は物理的実在に属し、多くの異なる人々が外部から観察できます。もう一方は心的実在に属し、私たちは一人一人、自分の場合にそれを内面から経験するのです。

これは、ある現役の哲学者の言葉です。物理的な実在とは別に心が実在するという主張に、皆さんは賛成ですか、反対ですか?

物質からできている人間に、なぜ心や意識と呼ばれるものがあるのか? この難問に多くの学者が頭を悩ませています。

ココロとカラダがどういう関係にあるのかが哲学的・科学的問題として本格的に浮上してきたのは、いまから数百年ほど前のことでした。

中世までのヨーロッパでは、どんなものでも他のものに「影響」を与えることができると考えられていました。たとえば伝染病も、悪霊が空気に影響を与え、その空気が人々に影響を与えていくものだと思われていました。このような時代にはココロがカラダに影響を与えることも、さして驚くことではありませんでした。

ところが、デカルト(1596-1650)やニュートン(1643-1727)の時代になると、事情は大きく変わります。物理法則は数式で解明され、それ自体で完結していることが明らかになってきました。すると、物質でできたカラダがココロとどんな風に関係しているのかが、難問として浮かび上がってきたのです。

人間の脳を一種の機械だと考えてみましょう。

  • 脳とは別にココロが実在するわけではないという立場←ではココロや意識はどこで生まれたのか?
  • 脳とは別にココロが実在するという立場←脳という機械のなかにココロという幽霊が住み着いているってこと?

考えれば考えるほど難しい問題ですね。
ぼくは、冒頭で紹介した哲学者の主張は間違っていると思っています。わたしたちが持っているように見えるココロも、最終的には脳の働きとして説明がつくだろうという立場です。

みなさんも眠れない夜には、ココロがどこから生まれたのか、未解決のパズルに取り組んでみてはどうでしょう。

→ゾンビは誰?