ロゴスとロジック(言葉と論理)

「愛」は定義できるか?のつづき

正しい思考について知るためには、間違った思考についても知る必要がある。そう考えたのは、古代ギリシャアリストテレスでした。
アリストテレスは、一見きちんとした推論にみえるけれど実はヘンだという議論を、13種類リストアップしました。そのうちの6つは、言葉遣いにかかわるものでした。

13種類の誤りのうち、堂々のトップバッターが「語義曖昧」です。語義曖昧とは、コトバの意味が曖昧だったり、二重の意味に受け取られたりすること。
そして、2番目が「文意不明確」です。こちらは単語レベルではなく文のレベルで、複数の解釈を許してしまうこと。

今から2300年以上前(日本でいえば弥生時代!)にアリストテレスが指摘したコトバや文の曖昧性の問題は、現代もあいかわらず、日常生活のいろんな場面で厄介な問題を引き起こしています。
わたしたち人間がコトバを使用するかぎり、曖昧性の問題から逃れることはできません。

議論において、コトバの曖昧性が問題になるときには、2つの点に注意する必要があると、ぼくは思います。
ひとつは、相手との間でコトバの解釈を常にすり合わせること。つまりコトバを定義づける方向性です。
同じ「民主主義」というコトバでも、自分と相手ではぜんぜん違うことを想像しているかもしれません。

もうひとつは、いくらすり合わせようとしても、完全には一致させることはできないことを知っておくこと。つまり、定義の限界を知っておくという方向性です。

まずは、単語の定義について、じっくり考えてみることをお奨めします。定義を考えることで、定義の限界と、臨機応変なコトバの使い方が見えてくると思うからです。

ロジック(論理)はギリシャ語のロゴス(言葉)に由来します。
コトバを考えながら、論理を考える。論理を考えながら、コトバを考える。そうすることで、両方に磨きをかけることができるはずです。

→そこに「愛」はあるか?