クオリアメモ議論(Populaさんへの回答1)

昨日の記事(クオリアメモ1〜4)についてPopulaさんという方からコメントをいただきました。ありがとうございます。

ちなみに、このブログでは異論・反論大歓迎です(あんまり多すぎると対応できませんが)。論理的にアプローチすることで議論を整理し、日頃のコミュニケーションに役立つヒントを得ることは、このブログの隠れテーマでもあります。

まず、Populaさんの意見をぼくなりに整理してみます。

Populaさんの結論は以下のようになっています。

yosikazufさんのご説明は脳の<クオリア>立ち現れ活動を説明するかもしれません(イージー・プロブレム)が、あのような赤色が現に立ち現れていること説明できません(ハード・プロブレム)。

ここに登場する「イージー・プロブレム」「ハード・プロブレム」とは何か。ウィキペディアの記事を参考に、簡単にまとめてみます。

【イージー・プロブレム】
物質としての脳がどのようにして情報を処理しているかについての問題。
たとえば、光が眼の網膜で化学反応を誘発し、神経細胞を興奮させ、その興奮は視神経を通って、脳の視覚野に入力され…というような仕組みのこと。

【ハード・プロブレム】

  • 主観的な意識体験(クオリア)とはそもそも何なのか?
  • クオリアは脳の物理的・科学的・電気的反応とどんな関係にあるのか?
  • クオリアはどのようにして発生するのか?

という問題。

脳の中でどんな物理的・化学的変化が起っているかの研究はめざましい進歩を遂げつつある(イージー・プロブレム)。
しかし一方、脳をいくら分解してもそこに「赤い色」「なめらかな肌触り」が見つかるわけではない。クオリアがそもそも何なのか、どのように出現するのかについては、脳内の物理的メカニズムがいかに解明されようとも、やっぱり謎のままなのだ(ハード・プロブレム)というわけですね。

では次に、Populaさんがどんな立論を行っているかについて確認してみましょう。(議論において、相手が何を主張しているかを確認することは非常に重要です)

Pupulaさんはこの問題について「分かっていること」として3つのポイントを挙げています。順番に見ていきましょう。

(1)Populaの脳や身体の中に、様々な<クオリア>が立ち現れている。

なるほど。同意しておきます。

(2)その立ち現れている<クオリア>と、Populaの脳や身体の物理的現象(=立ち現れ活動)とは、一対一に対応しているハズです。

ちょっと図を補足してみました。
たとえば眼が光の刺激を受けると、脳内でさまざまな物理的現象が生じて、「赤い色」という<クオリア>が発生する。脳や身体の物理的現象とクオリアは1対1に対応しているはずだということですね。

これにも、ひとまず同意しておきます。(細かくいえば、図の「左→右」は1対1対応が成り立っても、「左←右」は必ずしも成り立たないのではないかとか、議論の余地はありそうですが)

(3)Populaの脳や身体と、極めて類似性の高い脳や身体を持つ「他人」という存在がありま す。従って、その他人にも --- Populaと同様の --- 脳や身体の物理的現象(=立ち現れ活動)が発生しています。にも関わらず --- <クオリア>は --- 立ち現れていません。
 ※ 他人は他人で、立ち現れている、と宣言しますが、このビッグバン宇宙(秩序宇宙)からすれば「錯覚」というほかありません。

これも図を補足してみました。
「私」(Popula)と他人を比べると、脳や身体の仕組みは非常に似ている。しかし、クオリアは「私」(Popula)にだけ出現して、他人には決して出現しない。もちろん他人は他人で「私はクオリアを感じている」というだろう。しかし、それが本当かどうかなんて確かめようがないではないか。他人はクオリアや意識を持たない「哲学的ゾンビ」かもしれないのだ。
…こういうことでしょうか。

このあたりが争点になりそうですが、今はPopulaさんの主張の確認にとどめておいて、とりあえず先に進みます。

以上の(1)〜(3)からPopulaさんは次の結論を導いています。

(3)は、「私」と他人の異なり(私は世界中の人間を「私」と「他人」に分類することが出来る)を示す唯一の説明であり、かつ、(2)により、その異なりについての、物理的な差異の存在を否定しています。従って秩序宇宙においては『解けるハズがない』のです。

「私」と他人がなぜ異なるか? それは「私」にはクオリアが現れるのに他人には現れないからだ。これが両者をわかつ唯一の説明である(3)。
にもかかわらず、脳や身体の物理的な仕組みを見るかぎり、「私」と他人はとてもよく似ていて、決定的な違いがあるようには思われない(2)。
物理的には(ほぼ)同一なのに、一方にはクオリアが現れ、もう一方には現れない。ゆえに、この宇宙において、クオリアの謎は解きようがないのだ。
…ということですかね。

Populaさんの立論は、下のような骨格になっていると思いました。

【前提1】「私」にはクオリアが出現するが、他人にはクオリアが出現しない
【前提2】「私」と他人の物理的仕組みは(ほぼ)同じだ
【前提3】物理的な仕組みが同じならば、クオリアが出現するかどうかの結果も同じであるはずだ
【結論】クオリアの謎は解けない(※)

※【前提2】【前提3】から導かれる結果は、【前提1】と矛盾するから

以上、Populaさんの主張をぼくなりに整理してみました。細かいすり合せは適宜おこなうとして、基本的にはこういう理解でいいでしょうか。
誤解などあれば修正しますので、コメントいただけると助かります。

Populaさんの主張に対するぼくの見解は改めて(明日にでも)書く予定です。

→クオリアメモ議論(Populaさんへの回答2)