アゲる表現・サゲる表現
つぎの2つの描写を比べてみましょう。
【描写1】
男はもう何日もヒゲを剃っていない。顔や手は垢だらけ。服や靴も薄汚れていて、だらしないことに泥までついている。【描写2】
男の眼は澄んでいた。ヒゲは伸び放題、手足や衣服も汚れていたが、内なる情熱が彫りの深い顔に溢れ出ている。小脇に本を一冊抱え、背筋を伸ばし、まっすぐに前を見詰めて、彼はゆっくりと歩き出した。
同じ男を描写しても、ずいぶん印象が違いませんか。1番目は男の外見の汚れを中心に描いています。それに対して2番目は外見の汚れはさらりと流して、他のポジティブな要素を強調しています。
同じ対象でも、書き方次第で印象はガラリと変化します。
- 最上級黒毛和牛ヒレ肉
- 死んだ牛の肉の切れ端
- 大統領ついに窮地に陥る!
- 大統領は問題についての詳細な調査を指示し、近日中の会見を約束した。
- 部隊はほうほうの体で退散した。
- 部隊の後方陣地への転進は迅速かつ効率的に遂行された。
コトバは決して中立的ではありません。比較的ニュートラルな表現もできますが、それよりアゲて表現することも、サゲて表現することも可能です。日常会話はもちろん、新聞やテレビの情報、政治家の発言などなど。多かれ少なかれ、演出が含まれているのです。
「反乱軍の指導者」「ゲリラ隊長」は、「自由の戦士」と称えられることもあれば、「テロリスト」と罵られることもあります。
メディアの情報にどの程度「アゲ表現」「サゲ表現」が紛れ込んでいるか注目してみましょう。演出的意図を取り払ったとき、結局何が事実として残るのか考えてみましょう。その訓練は、情報化社会を生きるうえで、きっとあなたの役に立ちます。