デカルト怪物説のリアリティ
20年も前ですが、大学生のとき映画の授業を受けたことがあります。そのときのテーマは1930年代から40年代にアメリカで流行したスクリューボール・コメディというジャンルで、講師は映画評論家でフランス文学者でもあるH先生でした。
映画から軽々しく教訓を引き出そうとする学生に対して「あなたは何も見ていない」と言い放ち、「まずスクリーンに何が映っていたか」を徹底して確認させる挑発的な授業進行には目からウロコが落ちる思いがしたものです。
そのH先生が、ある日唐突にこんなことを言いました。「デカルトは怪物です」。何の脈絡もなく突然そう言った気がするのですが、たぶん僕の記憶違いでしょう。ともかく「デカルトは怪物です」という謎めいたフレーズだけが、20年経った今も僕の脳裏に焼き付いているのです。
さて、先週の記事「木の描き方とロジックツリー(2)デカルトによる4つの規則」で、ぼくはこう書きました。
未解決の問題を解く方法についてデカルトほど徹底的に考え抜いた人物は人類の歴史を見渡しても極めて稀でした。
これについて「なぜそういえるのか」というツッコミをいただいたので、少し補足します。
デカルトが「徹底的に考え抜いた」と書いたとき、ぼくは2つのことをイメージしていました。ひとつはデカルト自身の生涯、もうひとつはデカルトの思索プロセスについてです。
まずはデカルト自身の生涯について。ひと言でいえば「全生涯をかけ徹底的に、真理の認識へといたる道を探し続けた」人生だったといえます。
デカルトは最初、書物の中に人生に有益なすべてのことについての揺るぎない知識があると考えました。そして10代から20代前半にかけて、ヨーロッパにおける最先端の学校であらゆる学問を学びました。しかし全課程を終え、さらには占星術や錬金術、手相術など怪しげな本までも、手に入る書物をすべて読破したにもかかわらず、彼が切望したような確実な知識は得られませんでした。
つぎに彼は「世界という大きな書物」の中に答えを捜すべく、あちこちの宮廷や軍隊、気質や身分の異なるさまざまな人と交わる旅にでました。
そこでは、国や地域によって人々の考え方に大きな違いがあることを学びました。逆に言えば、すべての思索の基礎となる確実な知識は、どこを捜しても見つからないことを痛感したのです。
数年間にわたる旅を終えたあと、ひとり思索にふける時間を手に入れ、「方法的懐疑」と呼ばれる、すべてを徹底的に疑う思考実験をスタートしました。
何でもかんでも疑うという懐疑論は古代ギリシャにもありましたが、デカルトの場合は最終的に、決して疑い得ない確実な知識を得ることが目的でした。その結果たどり着いたのが有名な「我思う。ゆえに我あり」です。
以上、ごく大雑把に振り返りましたが、デカルトほど全生涯をかけて、また思考プロセスとしても、真理へと至る道を徹底追求した人物は、極めて稀だという気がします。もちろん捜せば他にもいるでしょうけど。人類史における「徹底思考マニア」のグループを作るとしたら、デカルトにはそのメンバーとなる資格が十分にあると思うのです。
20年前、H先生がどんな理由で「デカルト怪物説」を唱えたのかわかりません。だけどぼくには、デカルトが全生涯をかけて真理を認識する方法を追求したことが、いまさらのようにリアリティを持って迫ってくるのです。
もちろん、現代的な目でみれば、デカルトの思索の雑な面も沢山あると思います。「我思う。ゆえに我あり」を発見したあと、デカルトは実に3種類もの方法で「神の存在証明」を行いました。現代の学者でそれが正しい証明だと考えている人はほとんどいないでしょうね。