デカルトvs.世間の人々

結局、デカルトは全てを疑って何をしようとしたのでしょう?


  • けれども、わたしがその時までに受け入れ信じてきた諸見解すべてにたいしては、自分の信念から一度きっぱりと取り除いてみることが最善だ、と。
  • わたしの計画は、自分の思想を改革しようと努め、わたしだけのものである土地に建設することであり、それより先へ広がったことは一度もない。

(『方法序説デカルト著・谷川多佳子訳/岩波文庫 p23-24)

要するに、世間で正しいとされていることをまずは全部疑ってみて、まっさらな状態になってみる。そのうえで、基礎からひとつずつ自分の考えを組み立てる。という計画だったのです。

デカルトに言わせると、世の中の人は下の2つのタイプに分けられるそうです。


  • 第一は、自分を実際以上に有能だと信じて性急に自分の判断をくださずにはいられず、自分の思考すべてを秩序だてて導いていくだけの忍耐心を持ち得ない人たち。
  • 第二は、真と偽とを区別する能力が他の人より劣っていて、(中略)他人の意見に従うことで満足してしまう人たちである。

(同 P25)

  1. 自信満々なのはいいのだけれど、そう主張する根拠が乱暴な人
  2. 自分に自信がなく、判断を人任せにしてその後追いしかできない人

…私たちの周りにも多いと思いませんか?

日本でいえば江戸時代のはじめごろに生きたデカルトが、結局正しい知識だけを手に入れることに成功したとはいえないでしょう。その意味で彼の試みは失敗でした。
だけど、情報が溢れかえる現代社会において、自分の思考の足元を見詰め直すデカルトの方法論は、論理的にものごとを考えるうえで、貴重なヒントを与えてくれるように思います。