質問が「半永遠」を描きだす(さだまさし「防人の詩」)
谷川俊太郎「空」という詩を眺めていて、さだまさし「防人の詩」を思い出した。
防人(さきもり)とは、広辞苑によると「古代、多くは東国から徴発されて筑紫・壱岐・対馬など北九州の守備に当たった兵士」のこと。任期は3年だが延長されることも多く、その間は地元に残した家族にも会うことができなかった。ようやく任務を終えて故郷へと帰る途中に命を落とした者もいたという。
この歌では、防人が直接登場することはないが、死についての質問がくり返される。
おしえてください
この世に生きとし生けるものの
すべての命に限りがあるのならば
海は死にますか?
山は死にますか?
風はどうですか?
空もそうですか?
おしえてください
この歌詞のなかで質問はどんな役割をはたしているのだろう。
それは「半永遠」を想起させることではないか、とわたしは思った。
ここでは「海」「山」「風」「空」「春」「夏」「秋」「冬」などの大いなる存在、永遠にくり返されるようにみえる存在が取り上げられ、「○○は死にますか?」と問われる。その答えは通常2通りである。
(1)(海、山、風、空…は)死にます。
(2)(海、山、風、空…は)死にません。
しかし(1)(2)のどちらであれ答えに言及したとたん、それは理性による納得として整理されてしまいそうだ。ここではあえて答えを示さないことによって、有限でも永遠でもない、いわば「半永遠」の深淵を覗き込むような感覚を描きだしたのだろう。もちろんわたしの想像にすぎないけれど。
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wikipediaによると、この「防人の詩」には、元になった万葉集の歌がある。
いさなとり海や死にする山や死にする死ぬれこそ
海は潮干(しほひ)て山は枯れすれ
(『万葉集』第16巻第3852番)(大意)
海は死にますか、山は死にますか。死ぬからこそ、海は潮が引き、山は枯れるのです。
こちらは、「海は死にますか」「山はしにますか」という質問に対して、「死ぬ」とはっきり回答している。
いずれにしても、そこで切実に浮かび上がってくるのは、海や山や風や空とくらべてあまりにも小さく儚い、われわれ人間の命である。