独我論者の手紙

私は高名な論理学者、クリスティン・ラッド・フランクリン女史から手紙を受け取ったことがある。それによると、彼女は独我論者なのだが、ほかにそういう人がいないのを驚きに思っているとのことであった。

バートランド・ラッセル

独我論」とは「他者の存在を否定し、ただ自分だけが存在すると主張する立場」のこと。
一見、とんでもない考えにみえるけれど、周りの世界や他者の存在をどうすれば確証できるのかを突き詰めて考えると、「自分以外は幻かもしれない」という独我論にたどりつきます。

かのルネ・デカルトはすべてを疑っていった結果、どうしても疑いえない真理として「我思う、ゆえに我あり」に到達しました。もっとも、「我あり」を発見したあと実に3種類の方法で「神の存在証明」を行うことになりますが…

今回引用したクリスティン・ラッド・フランクリン女史(1847-1930)のエピソードは面白いですね。彼女はいったい誰に向けて手紙を書いているのでしょうか。もっともこの断片的な引用だけでは、本人の真意はわかりませんが。

ぼくはこのエピソードを『「知の欺瞞」ポストモダン思想における科学の濫用』(アラン・ソーカル ジャン・ブリクモン 岩波現代文庫)で見つけました。

  • フランクリン女史がラッセルに手紙を書く
  • それをラッセルが著書の中で紹介
  • それをソーカルまたはブリクモンが著書で紹介
  • それを翻訳者が日本語で翻訳

少なくともこれだけの人の手を経て、このエピソードを目にしたことになります。

だけど、これらの人々の存在を厳密に証明することはできません。極端な話、ぼくが水槽に浮かんだ脳でしかなく、周りの世界がすべて幻なのだという可能性も否定できないのです。

とはいえ現実的には、他者の存在を十分に認めたうえで日常生活を送っています。人に会うたびに「この人は本当に実在するのだろうか。俺は幻を見ているのではないか」と疑っていてはキリがありません。

  • ぼくたちは、他者の存在を仮定しながら暮らしている。

「実在する」「実在しない」の二項対立だけで考えていると、解けない問題があります。でもそこに「仮定」という思考法を取り入れることで、問題がすんなり整理できることもあるのです。

→議論の尺度を合わせよう

she is a solipsist and wondered why no one believes solipsism excpt her