民主主義は奴隷制度!?(語源の濫用)

※本当は恐ろしい鳥取県民のつづき

次の2つの主張のどこがおかしいか考えてみてください。

(例1)

民主主義は致命的な欠陥をかかえている。国家の命運を左右するもっとも重要な局面において、民主主義では誤った選択をしてしまう可能性が非常に高いのである。
「民」という漢字はもともと「ひとみのない目を針でさす」ようすを描いたものであり、「目を針で突かれた盲目の奴隷」を意味していた。このような「民」が中心になって正しい選択ができることが、そもそもありえないのである。

(例2)

明治4年(1871年)に廃藩置県が行われてから140年余り。そろそろ「県」は廃止した方がいい。
「県」と「首」の漢字は、逆さにすると似ていると思いませんか。「県」はもともと「つり下がる」という意味で、「首を切って逆さにぶらさげる」様子を表しているのです。
インターネットを中心としたグローバル化がすっかり生活にもなじんだ現在、「首を切って逆さにぶらさげる」ような「県」の制度に固執する理由はまったくないと考えられます。

「例1」「例2」とも、ぼくがテキトーに書いてみた文章です。どこがおかしいかというと、両者ともにメインの主張(民主主義が欠陥をかかえていること・県の制度を廃止すべきであること)を支える根拠がまったく示されていないのです。

語源を示すだけでは民主主義や県制度の欠陥を示したことにはなりません。

コトバの意味は年月とともに変化します。あらためて言うまでもありませんが、現代の「民主主義」の定義に「目を針で突かれた盲目の奴隷」という意味はまったく含まれていません。

また、そもそも「民主主義」の内容を表すのに古代中国で作られた「民」という記号を使用することにも必然性はありません。「民主主義」の内容を「△▶■」という記号列で表しても、ぜんぜんかまわないのです。

ちなみに、英語の「デモクラシー」という単語は古代ギリシャ語のdemokratiaに遡りますが、これはdemos(人民)とkratia(権力)を結合したもので、人民が権力を行使するという考えや政治形態を指します(「広辞苑」第六版)。こちらには「針で目を突かれた奴隷」の意味はありませんね。

ものごとの由来や語源の話は、ぼくも大好きです。
だからといって、ものごとの由来や語源を示せば主張が根拠づけられるわけではないことも頭の隅にとどめておきましょう。