クオリアメモ(3)

クオリアメモ(2)のつづき


哲学的ゾンビの議論は成り立たない】


  • 仮説:「クオリア」「意識」「私」は脳の演算結果である。

この仮説を採用するならば、同じ仕組みの脳(計算機)が2つあれば、演算結果も似かよったものになるはずです。つまり、仕組みは同じなのに一方は内部意識をもち、もう一方は内部意識をもたないとする「哲学的ゾンビ」の議論はナンセンスになります。

【脳による演算結果がクオリアである】

「脳による演算結果がクオリアである」という主張について、もう少し補足します。

ごく単純な例として「明るさ」(明度)について考えてみましょう。

話を簡単にするために、「明るさ」のクオリアが4段階しかない脳を想定します。

まず、明るさを「0」「1」「2」「3」の4段階の数値で処理すること。 これは現在のコンピュータでも可能です。

つぎに、この4段階を「長さ」や「位置」に変換すること。これももちろん可能だと思われます。 (ちなみに数を点の位置に変換するという「座標」は、現代人にとっては常識ですが、17世紀にデカルトが登場するまでは、誰もこんなこと思いつきませんでした)

別の例としては、「0〜3」をたとえば△や□などの図形に変換することも可能です。
こんなふうに考えれば、外部から入力したデータは、実にさまざまな方法で変換することができることがわかります。

同様に、人間の脳も視細胞で受け取った光の情報を、何らかの方法で変換・情報処理していると思われます(おそらく、生物進化の過程で独特の変換方式を獲得したのでしょう)。
上手の右側でいえば、「0〜3」の上に描いたものが変換された結果というわけです。
(もちろん、ここではぼくが鉛筆で塗っただけなので、脳の実際の演算結果ではありませんが)

いま、わずか4段階で明度の説明をしましたが、実際には、色の種類(色相)・あざやかさ(彩度)・明るさ(明度)を組み合わせると人間の脳は最大で数百万色を識別できるそうです。情報の入力は網膜にある4種類の視細胞で行われます。
このように数が増えても、基本的な仕組み自体は変わらないように思います。つまり、受け取った情報を脳が変換、演算しているということです。
そして、この人間(や動物)に備わった情報処理システムによる演算結果が「質」とか「クオリア」と呼ばれているのです。

→クオリアメモ(4)