築地に行ってみた

いつもPCばかりなので、今日は初めてスマホから書いてみます。

仕事で何年もお世話になった方が、築地の仲卸店に転職とのこと。広告会社で外資系のクライアント担当が長かったことを考えると、思い切った転身です。

ちょうど近くに用事があったので、訪ねてみました。

…でも、あいにく定休日でした。

よく考えると、毎日夜中の1時起きで午後3時頃まで仕事。ネット環境もない店舗。定休日だからこそ、久しぶりにSNS投稿できたのでしょう。

最初から電話などで定休日を確認する方法もありましたが、ぶらりとでかけて築地の賑わいに浸るのもいい経験でした。

流れに身をまかせる。偶然に従ってみる。そんなすごし方もぼくはわりと好きなのです。

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「言葉が意見を伝える道具であるならば、まず、意見を育てる必要がある」

『言葉にできるは武器になる』(梅田悟司著/日本経済新聞出版社)という本を読んでみました。著者は電通のコピーライターです。

ぼくは普段この類いの本をなるべく読まないようにしています。読んだときには「なるほど」と思っても、自分の問題意識やその深さと直結していないと、その場かぎりのナットクで終わりがちだからです。

スポーツにたとえれば、自分がくり返し練習した後コーチのアドバイスを受けるのならいいけれども、自分がたいして練習していないのにコツばっかり聞きかじっても身に付かないということ。

ところが、今回なぜ買ってみようと思ったのか。それは、「自分が最近考えていることが、この本でより深く語られている」と思ったからです。

東京駅近くの八重洲ブックセンターでは、1階に平積みされていました。そこも含めて、何度か手にとって立ち読みしたあと、結局、買ってみることにしました。

著者のメッセージをひとことで言うと、こうなります。

「言葉が意見を伝える道具であるならば、まず、意見を育てる必要がある」

ふだん私たちは言葉を「コミュニケーションの道具」だと考えています。ところが、自分の考えが浅いところに留まっているのに、言葉だけを磨こうとしても、結局、その言葉が胸に響くことはないのです。

「言葉は思考の上澄みに過ぎない」

著者はそう言い切ります。そして「外に向かう言葉」をあれこれ言う前の「内なる言葉」の育て方について考察します。

(つづく)

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オスプレイは「不時着」?「墜落」?

ある方から米軍のオスプレイ事故について、この「質問学」ブログで取り上げると面白いのでは、という提案をもらいました。「不時着」と「墜落 crash」という言葉の意味について。いただいた文章を私なりに簡略化してご紹介します。

<問題> 次は、2016年12月13日に沖縄で起こったオスプレイの事故についての文章である。言葉の使い方として間違っているものはどれか? (なお、米軍は、まったく操縦できなくなったわけではなく、普天間に戻るわけにはいかないので、海岸沿いの人のいないところに着水したとの説明を行っている)

  1. オスプレイは沖縄沖に不時着した。(米軍及び日本の防衛省の発表) 
  2. オスプレイは沖縄沖に不時着し,大破した。(NHKほか多くのマスコミが使った表現)
  3. オスプレイは沖縄沖に墜落し、大破した。(沖縄の新聞の表現)

(参考)
海外のマスコミ報道では「crash」という言葉を使っている。
1) US Osprey aircraft crashes off Okinawa coast in Japan. (BBC News)
http://www.bbc.com/news/world-asia-38311685
(The most recent crash was in Hawaii in May last year, in which two US Marines died.

2) Marine Corps MV-22 Osprey crashes off Okinawa. Crew rescued.
http://www.news.com.au/.../b3df1c3c15d7ced2b3ae47b376270303

私はこの問題には詳しくないので、ここでどれが正解でどれが間違いとは言いません。でも、3つの文でずいぶんと印象は変わってきますね。

辞書を引くと、「不時着」とは「『不時着陸』の略。航空機が、故障などのために目的地以外の場所におりること」。一方の「墜落」とは「高いところから落ちること。(例)航空機の墜落事故」と載っています。

英語の「crash」は「<車・列車などが>衝突する。<飛行機などが>墜落する」という意味です。また「不時着」は英語で「a forced landing」「an emergency landing」「a crash landing (胴体着陸)」などと表現するようです。

報道写真を見ると、たしかに機体が大破しています。皆さんは「不時着」「墜落」…どの表現がしっくりくるでしょうか。

ちなみに、米軍の垂直離着陸機の愛称「オスプレイ」とは「タカ目ミサゴ科」の鳥「ミサゴ」のこと。日本では古来「魚を獲るタカ」として知られ、「魚鷹(うおたか)」とも呼ばれるそうです。

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私(フジモト)の妻が新垣結衣であることは可能か?(言表様相/事象様相) 分からないことは堂々と間違える方がいい

週末は、ラッセル読書会(ラッセルはイギリスの哲学者)でした。そのとき思ったことがあります。それは「発表のときは、たとえ準備不足で不安な部分があったとしても、曖昧にしてごまかさないほうがいい。むしろ堂々と間違える方がいい」ということです。

なぜか? 堂々と間違えて指摘してもらえば、その場で修正できて、結局は自分のためになるからです。

ラッセル読書会では、自分の担当部分のレジュメを直前にバタバタと準備していました。そのとき、ある2つの哲学的概念について、どっちがどっちか、自分でも分からなくなってしまいました。そのまま発表したところ、案の定、三浦俊彦先生(東大教授)から「藤本さん、それは全部、例が逆になっていますね」と指摘されました。

そのとき私は「ああ、しまった…やっぱり」という気持ちと同時に、「よかった。これではっきりした」という気持ちになりました。

そうです。「間違える」→「指摘を受ける」というプロセスを経ることで、自分の理解を次の段階に進めることができるのです。曖昧にしたままだと、これからずっと曖昧なままかもしれませんからね。

ちなみに、どんな哲学的概念だったかというと、「言表様相(げんぴょうようそう)modality de dicto」と「事象様相(じしょうようそう)modality de re」とといいます。

たとえば、こんな質問があるとします。

※「私(フジモト)の妻が新垣結衣であることは可能か?」

この質問は2つの意味に解釈することができます。

(1)「私(フジモト)の妻が新垣結衣である」をひとつの意味ある文と考えます。もちろん現実的にはまずありえませんが、論理的な可能性でいえば、いろんな偶然が重なって「私(フジモト)の妻が新垣結衣であること」という妄想的世界もないとはいえないでしょう。その意味で※の質問のこたえは「可能」になります。(言表様相)

(2)「私(フジモト)の妻」である特定の女性Mさんがいます。そのMさんが新垣結衣であることが可能かどうかといえば、2人は別人なので、答えは「不可能」になります。(事象様相)

要は、「ひとつの文のまとまり」に注目するか「特定の個体」に注目するか、の解釈のちがいですね。

※現在の東京都知事橋下徹である可能性はあったか?

(1)「現在の東京都知事橋下徹である」…もし彼が都知事選に出馬していれば、そんな可能性もあったかもしれません。こたえは Yes(言表様相)

(2)「現在の東京都知事」は小池百合子であり橋下徹とは別人なので、答えは No(事象様相)

この2つの概念については、私が自分の理解のために書いただけということもあるので、読み流していただいて結構です。でも、ひとつの文をお互いが別々の意味に解釈して混乱することって、ありません?

分からないことを曖昧にするよりも堂々と間違う方が、むしろ自分の理解を深めるきっかけにできる。また、同じ質問でも文の解釈によって答えが違ってくることがある。…よかったら、ちょっとした参考にしてみてください。

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勘違い40代男の恋愛相談

「40代の男性が20代女性への恋心を新聞に相談 その回答がド直球すぎておもしろい!!!」というネット記事。友人女性がSNSでシェア&相談者の勘違い男をボロクソに切り捨てていて、僕も興味をもちました。

これは可笑しくも、考えさせられますね〜。

一回目に読んだときは、身も蓋もない「幻想」回答に爆笑しました。ところが二回、三回読むうちに、「この相談者と俺とどこが違うんだ?」とだんだん不安に(笑)。「私を見かけるたびに何度も手を振ってくれ」たら、「勘違いする可能性0%」とは言い切れないかも…

でも僕だったら、どっかのタイミングで確かめるんじゃないかと思います。それとなく好みのタイプを聞き出せば、自分が対象外だと分かりそうなものではあります。

勘違いする要素はあっても、妄想を膨らませる前に相手の好みを確かめたり、心理的・物理的に距離をとったりできるかどうかで、その後が分かれるのではないでしょうか。

分からなかったら相手に聞いてみる。これが基本です。

僕の場合は、今のところ「見かけるたびに何度も手を振ってくれ」る女子もいませんが。

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小中学生の勉強はラクだ

小中学生は宿題やテストで苦労します。

でもその苦労は、実はたいしたことないんじゃないかと僕は思います。

なぜなら、すでに「問題」は与えられていて、あとはそれを解くだけだから。

それに対して、本当に苦労するのは「自分で問いを立てること」のほう。

それができない人はどんなに高学歴でも、社会で生き残れなくなってしまいます。

変化がはげしい時代は、なおさら。

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漢字は中学校卒業までに何文字覚えるの?

フェイスブック日本語グループで、面白いやりとりがありました。

漢字の覚え方に関するスレッドのコメント欄で、ぼくはこんな風に説明しました。

小学校6年間で1000字、中学校3年間で1000字、合計2000字ほどを覚えますよ。

すると、別の人が「中学では全部は習いませんでしたよ。中学高校で1000字だと思います」と返答しました。実際はどうなのでしょう。

もともとの僕の認識は「小学校中学校の義務教育の間に常用漢字2136字を習う」というものでした。内訳は以下のとおりです。

常用漢字が2136字
そのうち
小学校6年間で1006字
中学校3年間で1130字


ところが、コメント欄での指摘をうけて文部科学省の学習指導要綱を見ると、中学校までに常用漢字すべてを習うとは書いてありませんでした。中学校の第3学年で「常用漢字の大体を読むこと」となっていました。

文部科学省の学習指導要綱・国語
〔第3学年〕
ウ 漢字に関する事項
(ア) 第2学年までに学習した常用漢字に加え,その他の常用漢字の大体を読むこと。


もう少し詳しく見てみます。中学校学習指導要領解説 国語編」の各学年における漢字に関する事項によれば、中学校の3学年における漢字学習の目標は以下のようになります。(多少意訳して紹介)

【中1】

  • (読み)「小学校の1006字」&「残り1130字のうち300〜400字」読めるように
  • (書き)小学校の1006字のうち900字程度を書いて使えるように

【中2】

  • (読み)「小学校の1006字」&「残り1130字のうち650〜850字」読めるように
  • (書き)小学校の1006字を書いて使えるように

【中3】

  • (読み)「小学校の1006字」&「残り1130字のだいたい」読めるように
  • (書き)小学校の1006字を使い慣れるように

いかがでしょうか。中学校卒業までに常用漢字すべてを学習しなければいけないわけではないこと。また、読みと書きが区別されていて、書くことについては、中学校卒業時には小学校でならう漢字(学年別漢字配当表に示されている漢字)を「使い慣れること」が目標となっていました。

いずれにしても、2000字もの漢字を覚えるのは、外国人にとっても、日本人の子供にとっても大変な作業ですね。ぼく自身は辞書を見て漢字を正確に書くのが好きな子供でしたが、今考えると気が遠くなります。

アルファベット26文字が中心の文化圏とは大きく異なる文化圏に暮らしているのだと、改めて感じました。

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