鳥の視点とロジックスケッチ
あるクリティカル・シンキングの本に「思考の十大誤謬」が載っている。そのうちの1つが「グループ思考」だ。
ライバル関係にあるビール会社A社とB社があるとする。A社の社員が「A社のビールはB社のビールより美味しい」と言う。あるいはB社の社員が「B社のビールはA社のビールより美味しい」と言う。ごく自然な心理だろう。しかしこれといった根拠もないのに、自社のビールの優位性を客観的事実のように主張するとしたら、その社員は「グループ思考」の落とし穴にはまっている。
グループ思考は、こんな仕組みになっている。
自分が属するAグループは正しい。
↓
なぜなら……だからだ。
(根拠を恣意的に提示)
AグループとBグループが対立している場合、以下のようになる。
【Aグループのメンバー】
自分が属するAグループは正しい。
なぜなら○○だからだ。(恣意的な根拠)【Bグループのメンバー】
自分が属するBグループは正しい。
なぜなら××だからだ。(恣意的な根拠)
どちらのグループのメンバーも、自分が所属するグループが正しいとする結論がまずある。そして、結論を補強するための論拠を後から恣意的にさがしている。
畢竟、両者が用意した根拠は網羅的でなく恣意的なので、議論がかみ合わない。
国や民族その他のグループが対立しているとき、あるいは個人と個人の意見が対立しているとき、それが真に解決すべき問題である場合は、結論を戦わせる前にワンクッションおくのがいいと思う。いわば「急がば回れ」戦術である。
そのワンクッションとは、鳥瞰的な視点だ。
「Aが正しい」「Bが正しい」という結論はひとまず棚上げにしておいて「AとBの主張のどこが違っているか」に注目する。意見の対立の当事者としての視点を離れ、上空飛行を試みること。
この「鳥の目への変換」を、ぼくは「ロジックスケッチ」と呼んでいる。
【ロジックスケッチ的な考え方】
AとBの意見の相違点はどこにあるか。
↓
それら相違点はそれぞれどんな前提に基づいているか。
争いから距離を置き、まずは光景をスケッチすることに徹してみる。最終的にどちらの言い分が正しいのか、どうすべきなのかという結論云々は、このスケッチが終わってからでも遅くない。
「ええもん」vs「わるもん」
関西育ちのぼくは子供の頃、テレビのキャラクターを「ええもん」と「わるもん」に分けていた。「ええもん」は「良い者=善玉」、「わるもん」は「悪い者=悪玉」である。昔の子供番組はとくに善悪二元論に色分けされていたように思う。(「ガンダム」はそうでないところが新鮮だった)
フィクションだけではない。歴史や社会も同じだ。織田信長が「ええもん」なら今川義元は「わるもん」。アメリカが「ええもん」ならソ連は「わるもん」。そんな二分割が身の回りのどこにでも転がっていた。
週末、テレビの報道番組で強大化する中国の問題がとりあげられていた。世界ウイグル会議や、南シナ海の島をめぐる中国とフィリピンの軋轢、尖閣諸島についてなど。日本人コメンテーターに混じって、中国人の大学教授が孤軍奮闘、中国を擁護していた。
これ自体は珍しくもない光景である。が、見ているうちに、ちょっとした疑問がわいてきた。
【Q】
なぜ日本人は日本を正しいと思い、中国人は中国を正しいと思うのか?
たとえば、ある問題について日本と中国の意見が対立しているとしよう。
この場合、たいていの日本人は日本の立場を正しいと思い、たいていの中国人は中国の立場を正しいと思う。少なくともそんな傾向がある。
これは、実に不思議である。
A国とB国の意見が対立しているとき、それぞれの国民100人ずつにアンケートをとってみよう。もしも全員がまっさらな気持ちで判断をくだすならば、たとえばこんな結果が予想されるだろう。
- A国人:A国に賛成50人・B国に賛成50人
- B国人:A国に賛成50人・B国に賛成50人
しかし現実には、こうはならない。たとえば以下のようになる。
- A国人:A国に賛成90人・B国に賛成10人
- B国人:A国に賛成10人・B国に賛成90人
自分が所属するグループに有利な判断を下しやすい思考の傾向を「グループ思考」と呼ぶ。「自国を愛する」以上の意味が付与された愛国心はグループ思考の典型だ。
自国と他国の意見が対立しているとき、次のような思考を行う人が多いのではないだろうか。
自国が正しいことを直観する。
↓
自国の正しさを裏付ける論拠をさがす。
ぼくたちがこういう思考を行っているとき、相手の国民も同様の思考を行っている可能性が高い。
「ええもん」と「わるもん」の二元論は、大人になっても意外に根強いのではないかという気がしている。