デカルトの発禁すれすれ本

昨日の記事でデカルトの『方法序説』に言及した。
「我思う。ゆえに我あり」で有名な、教科書にも登場する『方法序説』。だけど出版当時は発禁本すれすれ、相当ヤバイ(!)本だったことをご存知だろうか。

方法序説』が出版されたのは1637年。このときデカルト41歳。
出版された本自体は500ページを越える大著で、その最初の78ページが『方法序説』と呼ばれている。この序説部分で真理を探究するための方法論が記され、残りはその実践としての「屈折光学」「気象学」「幾何学」の具体的な論文となっているわけだ。

方法序説』はデカルトが公刊した初めての著作だが、実は本のどこにも著者名は記されなかった。なぜだろう。
本の内容からして、うかつに著者名など入れると、裁判で死刑!なんて可能性もあったからである。

ごく一部を抜き出してもこんな感じ。当時は、キリスト教会が認めた伝統的な学問(アリストテレスキリスト教的な考え方)に反する説をうかつに唱えれば、死刑、終身刑、追放…になってもおかしくない時代だったのだ。

では、この激ヤバ本に書かれた方法とはどんな方法だったのだろう。
これが拍子抜けするほどシンプルなのだ。
デカルトの方法は「4つの規則」として記されている。

1.明らかに真なもの以外は真と認めないこと。早とちり、偏見を避けること。
2.どんな難問も、解きやすい小さな問題に分割すること。
3.単純なものから複雑なものへ、順序に従って考えを進めること。
4.最後に、見落としがないか、全体をよく見直すこと。

「なんだ、こんなこと…」という、拍子抜けするような内容ではないだろうか。
だけど、今から400年ほど前(日本でいえば江戸時代はじめ)、こんなシンプルな思考を徹底する人なんてどこにもいなかった。

このデカルトの方法論は近代科学の発達に大きな影響を及ぼした。
だけど、ぼくたち現代人は今でもやっぱりデカルトのシンプルな思考法に逆らうように暮らしている。
だって、ぼくたちはいまだに(1)思い込みや偏見だらけで(2)問題をゴチャゴチャにしたまま議論し(3)考える順序もゴチャゴチャで(4)全体を見渡すこともないからである。