胎児は人間か?(3)
※胎児は人間か?(2)の続き
おおきなもものなかから
かおをのぞかせたあかんぼうは
おじいさんとおばあさんに
たずねましたぼくはいつ
うまれたことになるの?
ぼくはいつ
にんげんとよばれるの?
ウィキペディアに人の始期(ひとのしき)という面白そうな項目がありました。
人の始期とは、出生の厳密な時期をめぐる法的な議論のことです。出生前と出生後では法的な権利に雲泥の差があります。刑法の場合だと、胎児を殺せば「堕胎罪」、出生後の幼児を殺せば「殺人罪」ですね。では、どこまでが出生前で、どこからが出生後なのか。
ぼくが面白いと思ったのは「一部露出説」と「全部露出説」です。
- 一部露出説:「胎児の身体が母体の外から見えた時点」を人の始期とみなす。
- 全部露出説:「胎児の身体が母体から全部露出した時点」を人の始期とみなす。
日本の刑法では「一部露出説」が、民法では「全部露出説」が採用されているそうです。
その他の説としては
- 出産開始説:出産(陣痛)が始まった時点。かつてドイツ刑法で採用。
- 独立呼吸説:胎盤呼吸から肺呼吸に移行した時点。つまり「おぎゃあ」という産声をあげたとき。
- 出生説(社会評価説):上記のような物理的な観点でなく、社会的に「出生」を経たかどうかで判断する。たとえば、早産で生まれれば、人。一方、中絶によって母体外に出された胎児は人とみなさない。比較的新しい説。
なども。
法律の分野では、どの時点から人として扱うか線引きしておく必要があるってことですね。それによって、権利も刑罰もちがってくる。
「この、ひとでなし!」と呼ばれても、母体から外にでて暮らしているかぎり、法的には人としてあつかわれるわけです。