鍵と錠前と男と女(2)

さて、昨日の記事の続きです。
まず、ネットの掲示板で見つけた書き込みを再掲します。

知りあいの女の子と議論になったんだが、彼女が言うには、

「男がいろんな女と毎週寝たら伝説のヒーロー扱いなのに、女が1年に2人の男と寝るだけで娼婦のような扱いなのは、公平じゃない」

だからこう言ってやったんだ。

「もしいろんな錠前を開けられる鍵があれば、それはマスターキーと呼ばれるが、いろんな鍵で開いてしまう錠は最悪の錠だと言わなければいけない」

そう言うと彼女は黙った。

さて、ぼくがこの女の子の立場なら、どう反論するか考えてみました。続きをどうぞ。

彼女はしばらく沈黙したあと、こう言った。

  • 彼女「…で?」

ボクは最初、彼女の反応の意味がわからなかった。
以下の会話はこんな感じだ。

  • 彼女「…で、男女の話はどうなの? 鍵の話はどうでもいいから」
  • ボク「いや、だから、もしいろんな錠前を開けられる鍵があれば…」
  • 彼女「うん。鍵と錠前の話はわかったから、なぜ男と女が公平でなくてもいいのかの理由を説明してちょうだい」
  • ボク「えーと…男がマスターキーとするとですね…」
  • 彼女「鍵の話じゃなくて、男女の話をしてちょうだい!」

そして、ボクは黙った。

いかがでしょうか。男と女を鍵と錠前にたとえる。このような思考法をアナロジーといいます。「男と女は、いくつかの点で鍵と錠前に似ている。だから別の点でも似ているはずだ」という考え方ですね。

A:B=C:D

アナロジーとは、比例の考え方です。古代ギリシャピタゴラス派は、数学的な比例の関係を「アナロギア」と呼びました。のちにプラトンアリストテレスは、ものの認識の仕方や倫理や美学にも、アナロギアの思考を応用しました。
ルネサンスの天才レオナルド・ダ・ヴィンチの思想の根底にも「人体=宇宙」のアナロギアがあります。

アナロジーは、私たちの思考を活性化させ、コミュニケーションを迅速化します。
一方で頭の隅にとどめておいてほしいのは、アナロジーをいくら重ねても、実は何一つ証明されたわけではないということです。

今回の例では、語り手(たぶん男性)は、「鍵と錠前」のアナロジーを用いて彼女を説き伏せようとしました。
しかし、いくら「いろんな錠前を開けられる鍵がマスターキーと呼ばれ」「いろんな鍵で開いてしまう錠前が最悪」だからといって、結局のところ、それは「鍵と錠前」の話でしかありません。
なぜ、男女のセックスが不公平でもいいのかという証明は、何一つなされていないのです。

鍵と錠前の話には、「鍵は開けるためのもの」「錠前は閉めるためのもの」という前提が隠れています。
だから男女の議論でも、「男は大勢とセックスすると優秀」「女は大勢とセックスすると最悪」という前提を持ち込めば、今回のアナロジーは効力を発揮するでしょう。でもこの場合は、最初から結論を前提としているにすぎませんね。

アナロジーは、日常の会話や議論で頻出します。会話の要所要所で、「これはアナロジーだな」と意識できるようになると、コミュニケーション力向上にも役立つはずですよ。