デカルト『精神指導の規則』とマイ・メソッド

デカルトは怪物だ」。映画の一般教養クラスだったと思うが、後に東大総長をつとめる蓮實重彦先生がそう言ったのをよく覚えている。前後の文脈はまったく覚えていないけれど。

デカルトといえば「我思う、故に我あり」が枕詞のようになっているが、彼の卓越した素晴らしさは、「我思う…」の正しさ云々ではなく、そこにいたるまでのプロセスにあると思う。時代や地域の状況にも、先人や同時代人の意見にも振り回されることなく、確実な真理を見つけ出すための方法論を見つけ出す、その試みと実践! もちろん、現代からみれば「絶対確実な真理がある」という前提は疑わしいし、「神の存在証明」も眉唾ではあるのだけれど、時代の喧噪から離れて状況を冷静に把握しようと思うとき、ぼくは『方法序説』をめくって、彼の思考をたどりながら自分の進むべき道を確認することが多い。

といっても、デカルトの著作をたいして読んだことがあるわけではない。『精神指導の規則』も今回初めて手に入れた。これは「方法」についての未完の論文で、真理あるいは正しい認識へと到達するための21の規則が残ってリウ。この規則が現代にそのまま通用するとは思わないけれど、適当に読み変えることで自分なりの「規則」を作ってみたいと考えている。

ぼくが書いたメソッドは、たとえばこんなものだ。

コミュニケーションのメソッド

1. 相手の意見をよく理解すること(You→I)
2. 分かりやすく説明すること(You←I)
3. 1と2は補完しあう関係にある(You←→I)
4. 相手と何がシェアできるかに注目すること
5. 対立点を取り上げて同意させようとしても失敗する
6. ……
7. ……

とりあえず10の規則を書いてみた。この規則は最終的なものではなく、適宜ブラッシュアップしたいと思っている。

Facebookの Q&A Japanグループはいま450人ほど。今年はSkypeでもいろんな国の人と話して、Q&Aの有機的なネットワークを作ってみたいと思っている。今週はインドの若者と話したり、パレスチナガザ地区の女性とチャットしたりもした。

ナショナリズムにの喧噪に巻き込まれず、かといって議論を避けるのでもなく、いかにして情報の風通しをよくできるか。一度に多くのことは進められないけれど、まずは一歩一歩。本年もどうぞよろしくお願いいたします。