『風立ちぬ』の喫煙シーン再考(小津映画と比較して)
宮崎駿監督『風立ちぬ』がテレビでも放映された。公開当時、喫煙シーンに対して日本禁煙学会が要望書を提出したことでも話題になったが、今回も某所で議論に触れる機会があった。
ぼくはお笑い禁煙本を出版したこともあり、禁煙推進派に友人が多い。とはいえここでは、禁煙派vs喫煙派ではなく、議論の整理という観点から問題を見てみよう。
次郎が菜穂子の手を握りながら仕事をしている。
次郎:「タバコ吸いたい。ちょっと離しちゃだめ?」
菜穂子:「だめ。ここで吸って」
次郎:「だめだよ」
菜穂子:「いい」
次郎:タバコに火をつける。
皆さんは、このシーンについてどう思いますか?
- 【好み】:好き/嫌い
- 【事実かどうか】:事実/フィクション
- 【副流煙の有害性】:有害/無害
- 【副流煙の有害性の認知】:登場人物は有害性を知っていた/知らなかった
- 【演出1】:必然性がある/ない
- 【演出2】:自然/不自然
- 【表現の自由】:許容すべき/許容すべきでない
など、いろんな観点からシーンを語ることができます。ちなみにぼくの見解と感想は…
- 【好み】:どちらでもない
- 【事実かどうか】:フィクション
- 【副流煙の有害性】:有害性あり
- 【副流煙の有害性の認知】:知らなかった
- 【演出1】:必然性があるとまではいえない
- 【演出2】:不自然とまではいえない
もし「表現の自由」の観点からこのシーンについて議論するならば、「何について話しているのか」「どの基準で話しているのか」をよく知ったうえで、慎重に進める必要があります。ところが実際には、そこが曖昧なまま各人が意見を投げ合うだけのことがよくあります。すると論点が散らばったなまま…
- 仲間内では「そうそう!」と共感できる
- 対立するグループ同士はいつまでたっても議論が噛み合ない
ということが起こります。
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ぼくは映画に詳しいわけではないのですが、日本映画史に残るサイレト映画の傑作『大人の見る繪本 生まれてはみたけれど』(小津安二郎監督、昭和7年)をざっとチェックしてみました。
(2)仕事中に紙巻きタバコや葉巻を吸っている社員たち。床に灰を落とす人も。
行動の良し悪しは別として、当時のタバコ観を知る手掛かりになりそうです。
ちなみにぼくがこの作品を初めて観たのは、大学生のとき。高田馬場のACTミニシアターという、アパートの一室のような劇場のオールナイト上映でした。映画が1本終わり休憩時間になると、上映部屋の外側の狭いスペースで、ぼくも含めて大勢が一斉にタバコを吸い出しました。今だったらとても耐えられない光景です。
映画『生まれてはみたけれど』は1932年の作品。一方、喫煙と肺がんの因果関係が問題になり、アメリカでパッケージに注意書きが載るようになったり、フィルター付きのタバコが発売されたりしはじめたのは1950年代。受動喫煙の健康被害に関する論文が次々と発表されたのが1980年代。
そう考えると、病身の妻のそばでタバコを吸うべきかどうか迷うシーンはむしろ、当時の映画監督なら思いつかなかったような、現代目線の演出なのかもしれません。
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こちらは映画『風立ちぬ』公開時の論争を扱った、一昨年のテレビ番組。俳優の梅沢富美男はかなり感情的になっています。一方の苫米地英人は冷静ですが、言っている内容はデタラメです。アメリカ政府が副流煙について「人体に対する影響の因果関係はない」と結論づけたなどという事実はありません。
アメリカ公衆衛生長官(Sergeon General)の報告書やアメリカ疾病予防管理センター(CDC)のサイトを少し覗くだけでも、副流煙の有害性が明確に結論づけられていることがわかります。
タバコをめぐる議論は感情的になりがちですが、落ち着いて議論したいものですね。